「パワースポット」というのか「アーダイバー」というのか、あの世への入り口とか回廊とかいう場所の人気が俄然高まっているようだ。神社、仏閣や昔からの秘境のような場所、古墳や墓や何か霊魂がいるような場所に人がたくさん集まる現象が日本中で起きていると思う。ある意味、近代の合理性の否定とか無視という風潮が、そんな行動のトレンドを作っているようにも思う。
近代的合理性がいかにも限界的で詰まってしまって面白く無いと感じる人が増えているせいだろうと僕は感じる。「早く、安く、旨いもの」には既にもう魅力が無い。反面「ゆっくりとして高価でマズいものは何だろう?」と興味が沸くんじゃないのかな?50年も前からそれに気がついていたのは、フランスの思想家のバタイユとかレリスやフーコーだったが、新しすぎて一部の専門家以外には興味の対象には無論ならなかったが、やっと時代が彼らの考えや感覚に追いついてきたのだろうと思う。交換から贈与へ、そして純粋贈与へと財の配分のウエイトに変化の必要性が出て来たのかもしれない。パワースポットとそれはきっと無関係ではないだろう。
例えば資本主義の矛盾についてはどうだろう。利子率と利潤率は長期的には合致するはずだが、日本の現実は長期金利はゼロ%に限りなく近いが、配当の株価に対する利潤率は4%近くも現在はあるものが多数だ。仮に株価が将来の企業価値の現在割引価値とするならば、将来の株価がどうなるかは、この配当の利潤率4%が低下してゼロに接近するか、または長期金利が4%に接近するか、そのどちらかあるいはその組み合わせになるはずだ。仮に配当額が同じだとすれば株価が4倍になれば利潤率は1%に下がる。ドイツ証券の武者氏はそういう未来の絵を描きたいのだろうと思う。でもちっともそうなっていかない理由は何だろうと思う?
ある調査で、65歳の年齢の人に「貴方は今後も働きたいですか?」という問いに、日本人は63%が「イエス」と答え、イタリア人は3%が「イエス」と答えたそうである。国民性というのは、好き嫌いに似てあまり「合理性」とは馴染みがない性質なのだろうと思うが、デフレの原因とはまさにこの63%と3%の決定的な差異にあるんだろうと僕は確信しているのね。そしてそれはそんなに短期間では変らない事だろうと思う。現在の50歳以上の人が全員寿命で死ぬまでにはまだ40年ぐらいはかかるのだから、その間は日本人の国民性が大変化するとは到底僕には思えないのだね。「真面目で、地味でコツコツ忍耐強く働くウサギ小屋に住む」清潔好きで礼儀正しい国民という特徴はきっと多分しばらくは不変だろうと思う。
それでも地味なだけでは息がつまるから、みんなでタマには遊んでみたくなる。だから10年とか20年とかに1回ぐらいは「気が大きくなってバブる」時もある。そんな時だけ忘れたような株高現象になるんじゃないのかなあ?と僕は思うのだね。
一株純資産が550円あって、配当が5円あって、現在時価が150円の株を「高い」という合理的説明をするのは困難だろうが、350円から2年間ずっと下がり続けているのだから売ったら儲かったわけであるが、売っている人はほとんどいない。(売り残はほとんどないから。)つまり大半の人が大損をしているという現実があるのだね。
だから操作の定石は、止まるまでは売り続けるというのが常態なのだろう。コツンと来て、もうこれ以下には下がる余地がないほど下がるまでは「とりあえず売っておけ」というのが多分正しいのだろうと月足を見ながら毎回僕は思うのね。取りやすい容易な方向は、建てれば誰にもわかるはずだからね。
スゲー、マメで真面目で勤勉なベトナムさんやハルトモさんが、仕事を退職して旅行にずっと出てみたり、乗馬やサイクリングやゴルフ三昧の遊びの暮らしを始めたり、1000万以上するレクサスを買って、200万の旅行を申し込んだりと、今まで以上に「何か無駄をしてももっと生活を楽しむ」というような具体的な動きが豊かな人たちには現実化し始めているという現象がある。
生産>消費という関係が少し逆転して生産<消費になれば、何か世の中で変るのか?そういう視点で経済を見れば、どこで長期のチャートに具体的な変化が出て来るのか?の見当ぐらいはつきそうな気もするんだね。