男の遊びといえば大昔から 飲む打つ買う という3原則に決まっている。例外などない。それが男というものであると僕は思う。が主観的にも形而下的にもこれがストーンと素直にできる人、出来ない人というのはいるんだろうと思う。一例が僕で、酒は一滴も飲めない。アルコール分解酵素が一つもないのが検査でわかったので無理して飲むと病気になって死ぬから辞めなさいと医者に言われた。タバコは13歳からずっと61歳まで真面目に吸っていた。最後はロングピースのライトだったが、これも医者に酸欠で死ぬよと入院した時に言われて苦しいので辞めた。打つに関しては博打ということだが、相場を博打とは僕は思わないのでこれも大学の頃に麻雀をしたのが最後でもう何もしていないし、興味が無い。競輪、競馬、バカラ、ルーレット、何も出来ないししたいとも思わない。買うというのは女子を買うということだが、これも一切していない。だってマダム一人でも手に余るのだからもうたくさんである。(ということにしておく。)
一方婦女子の遊びとはなんだろう?食う寝る遊ぶか?食う買う遊ぶか?まあでも僕の周囲には婦女子のほうが酒が強い。大抵同じように飲んでいても崩れるのが早いのは♂である。我が家でも息子と娘では娘のほうが3倍は強いし飲める。ネーチャンはシャンとして、崩れた男はダラシネーなあと冷ややかな目で常に見ている。因に我が家の生活費の多くはマダムのお酒代であると思うが、あまり詳しく書くと怖いからやめておく。ベトナムさんがサントリーのウイスキーが1ボトル2000万円だと書いていたが、お酒の値段は青天井だからキリが無い。旨いというのと希少というのが掛け合わされるととんでもなく凄い値段になる。2000万というと安い家が買える。熱海のマンションなら150平米ぐらいの元億ションが楽勝で買える。720ccのウイスキーなんて1晩でペロッと飲めるだろうが、マンションは1月でも償却できないから、やはり飲むというのは究極の遊びなんだろうと思う。
マーテルのコルドンブルーという高級酒があるらしい。というのは読んでいた小説で大阪の黒河博行という直木賞作家の「螻蛄」(けらと読む)という作品で桑原というヤクザの主人公が二宮という丁稚と一緒にラウンジで飲む酒がこのマーテルのコルドンブルーなのだ。僕は知らないがそんなに旨い酒なのか?ナポレオンというのは知っているが、それとどっちが旨いのか?というのもこの桑原はBMW740に乗っている。なんで750でないのか半端なのだがとにかくスーツはスキャバルやドーメルの誂えだからブランド高級志向なクラシックなヤクザの設定だ。そもそも黒川は1949年生まれの団塊世代のど真ん中で、京都芸大卒のアート崩れだから美意識だけは高いときている。それでスナックとかラウンジとかクラブとか女がいて酒を飲む場所(違いがあるらしいが、関西人にしか差異がわからない、値段と女と酒の質の差らしいが、、)でこのコルドンブルーが出てくるってかこれしか出てこない。そんなに旨い酒ならもっと東京でもワイドに売っていそうなものだが、スーパーや酒屋に行っても目にしない。安売りをしない酒なのか?でもネットでは13000円ぐらいで売っているのだから、ワインと比べれば別に特に高い酒でもないし、普通の人でも少し金を払えば飲める値段だろうとは思うが、美女のいる場所だとドンペリみたいに高いという事なんだろうか?
図書館に行くと、最近は無意識に選ぶ本がほとんど女流であることに気がついた。それのほうが面白い本が多いという事なのだろう。買うほどではないが、面白いから借りておくというような本がある。本棚がいっぱいでもう入らないので借りたほうが楽だ。中でも特に画期的なのは 山内マリ子という少しマイナーなライターの書いたロードサイド田舎小説が素晴らしい。大卒、バイトとフリーターで30歳になって震災を機に田舎に帰るプーな女子。結婚するでもなく、したいが出来ないダメ女でモテの要素があまりないそういうロードサイドで倦むでいくかっての青春を逃した女たち。「負け犬」一歩手前の苦悩というのがリアルでうすら悲しい。いるんだよー、たくさんこういう婦女子で静岡東部は埋め尽くされているような気がする。まあ少子化になるのはこのせいなんだろうかと思う。
グラフの更新に飽きたから、午後は姫の沢公園で少し歩いてきた。標高は500メートル前後で熱海を見下ろす山の中腹にある。秋が静かに静かに深まっていくようだ。