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Channel: 猫次郎のなんたらかんたら書き放題
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はるかな星

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 自分の未来のことは本当にどうなるかなんて誰にもわからない。1年後、3年後、5年後、10年後、20年後、僕が63歳に来月なって、統計的に仮に最大限あと20年生きたと仮定してどんな死に方をするのか?なんて全く想像もつかない。父親が仕事を止めたらすぐに胃ガンで病死したのが61歳だった。当時は僕は24歳。この反面教師の死に方のおかげで、周囲と比較して僕は40歳ですごく早めに引退して無職になった。父と同じで61で胃ガンで死ぬなら21年ゆっくり遊べるかと思ったのだ。(というかそれでも、その後も趣味的に会社を作ったり(ネットの広告代理店とか猫塾とかの社長をした)はしたにはしたが、、)あれからもう23年たつのだから、引退は1995年だったことになる。
 それから23年も生きるとは正直思っていなかったという点だけ見ても自分の予想は全く当たらないという事だ。こんなに長生きするのなら引退しなかったほうがよかったか?と問われば、さらにもっと早く30歳で引退するほうが良かったと思う。働かないで遊んで暮らすというのは本当に幸福な事だと僕は思うし、ほとんどの人(99.9999%)が実現不可能な事なのだから、贅沢な時間を優雅に過ごすという事はとても幸運に恵まれた人以外にはまず不可能だろう。そういう人はきっと数十万とか数百万に一人ぐらいしかいないんじゃないのかと思う。だって僕はそういうサンプルを周囲で一人も見た事が無いからだ。世の中に大金持ちはゴロゴロいるけれど(貧乏人はさらにその数千数万倍と多いが)、みんな金儲けに忙しいから(あるいは食うだけのために忙しいから)大変だねと思う。僕は大変な事は大嫌いだから、楽をして寝ていたい。できるなら何もしたくない。好きな本だけ読んで食っちゃ寝で死にたい。(笑)まあそういう暮らしがしたいとずっと若い頃から思っていたらなんとか40歳から出来るようになったので才能がきっとあったのだろうと思う。怠け者の天才なんだろうなあ、、。
 引退して1995年はたしか40歳でボルボのエステートV70の赤に乗っていた。人生の中でFFに乗ったのは、これとアコードだけだから覚えている。あの前方から犬ぞりに引かれていくような加速感とステアリングの浮き立つような軽さはいくら安全なボディーと言われても信じがたい違和感があって、僕は結局は大排気量のイギリス車とドイツ車以外は好きになれない体質なんだなあと思った。事実ずーっとメルセデスとジャグアーばかりそれもV8とV12ばかり乗るのが一番気持ちが良かったのだし、好きな事で贅沢が少し出来たのはずっと相場をやったせいもきっとあったんだろう。金は天下の周りものなんだから、取れば使うのが自然だなあと今でも思う。資本主義の本質とは消尽することだという気分は、スケールは全く僕が小さいのだが堀江モンときっと僕は似た考えなのだろう。彼もバタイユは読んでいるんじゃないのかな?
 僕にとって一番の幸福というものは、金があるとか無いとかはあまり関係がないので自分が好きな事をして生きて行く事だというただその一点のみに尽きるのだから、それをするために仮にお金が少し必要ならその分を作れば良いと思っているし、必要ないのなら寝ているほうが無論高級であり、猫次郎というのは猫のように食事以外はほとんどグータラ寝ているのが好きだからそういうハンドルネームにしているのだ。グータラ好き。仕事嫌い。だから相場ぐらいしか選択肢がないのである。
昔からずっと高級な人は働かない人だった。労働をしない人が高貴な人だったのだ。現在だってやはり同じだろう。労働は奴隷の役割だったのだ。現在だって名前は違っても本質に差なんてあまりないだろう?高級な人は気まぐれに自殺はしても過労死なんて絶対にしないよ。
 だから過労死しそうなほどアクセク働く人を見ると全員こついら「ホント馬鹿だね」と感じるし、「生き甲斐は働く事です、人の役にたつことです。」なんて優等生的な答えを聞くと「ケッ、なんだこいつら気持ち悪いな」とすぐに本音が顔に出る。そういう真面目な人たちがコツコツ地味に生活している目の前であぶく銭で買ったメルセデスでガーンと疾走するとか、社食でランチを食っている貧乏リーマンの前で三ツ星で昼から美女にワインをごちそうしてデートしているほうがぼくは心底好きなんだなあ。それのが高級な趣味だと思う。
需要創造力という一点をもって僕のほうが100倍高級だなと思うんだな。こういう世の中を舐めているようなライフスタイルこそが素敵である。だって人生を舐めているという態度そのものが資本主義的で宜しいし元来、資本の申し子たる相場師っていうのは実際にそういう商売なんだから。だから消尽することこそ彼のお仕事の本質なのである。(高貴な人のお仕事は労働ではないですよ。)奢侈=無駄=消尽的=高貴と昔から相場は決まっているのだな。動物はそういう事は出来ないものね。

 23年前に引退した時にはまさか熱海に住むなんて想像もしなかった。第一熱海なんて一回も行った事がなかったし、(下田や伊東の海には独身時代は行ったし軽井沢や那須も結婚してからもよく行った)まったく縁が無かったからだが、その後友人が移住してそれにつられて何となく家を買った。「なんとなく家を買った」というと「そんな馬鹿な」という人が大半だが、ぼくはいつもなんとなく何でもよく考えないで買うことが多い。いつも常にニコニコ現金払いだから、この10年で3回家を買って1回売った。差し引き2回分を現在は持っているが、駿河銀行からなんて借りないよ。金を借りるのは嫌いだから借りない。家でも車でも宝石でも全部手元の金で買えるものしか買わない。(でもクレジットカードは使用する。おつりの小銭が嫌いだから。お札以外の現金は持ちたくないので。)カードの請求が500万来ても口座から常に落ちるよ。

 自分の未来のことは本当にどうなるかなんて誰にもわからない。でもいつもそんなに悪いようにはならないなあと常に僕は思うんだな。ホントに毎度僕はそう思う。だって一度もそんなに悪いようになったことが今までに無いんだから、きっと今後もそうだろうって思う。すごく能天気だけど、楽観的であるってことはきっと幸福の絶対的主因なんだな。僕が生きていることがその証明かな。数十万、数百万の中でたった一人、遊んで寝ていて優雅な暮らしなのだから、それ以上の証明の必要は無しってことだな。事実こそ一番正直にモノを言うと思うぜ。


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