昨日買った本
平塚 エピスのヒレカツカレー大盛り 1300円 とホタテと大根サラダ
今年の女子のマトリクスという個人的な女子評価というのが僕には毎年あって、実に大きなお世話なんだが、勝手にマトリクスを選んで評価対象にして楽しんでいる。それぐらい女は不思議で面白い生き物だよなあと女系家族の不思議な跡取り息子という微妙な立場の僕は思う。よくやるのは文学マトリクスで今年版はこうなっている。さて今年は文学者版では 川上弘美ー村田さやか 高村薫ー西加奈子 という芥川賞対直木賞、関東対関西、ゾンビ対ゴジラという対照的なマトリクスとなった。西加奈子か三浦しをんかと迷ったが、まあ治まりという意味でも辺境性という意味でも西を今年は選んだ。個人的ケースで恐縮だが、僕は女系家族というのを内心実に恐れている。2/7という僕のケースの男子の構成比の家族というのは、男、長男、お味噌という決定的な位置づけだから、良い意味でも悪い意味でも「特別扱い」が当然という育ち方、育てられ方をする。だから中学校の中間テストで500人ぐらいいる学年で500点満点で497点とか取って首席になって点数と名前と順位を張り出されて隣のクラスの知らないちょっとカワイイ女子に「○○君、勉強できるんだ、眠たい顔しているけど、、、」とかカチーンというようなことをいきなり言われても「ナニオー?」とかは絶対に口にしない。「あの娘、映画に誘ったらくるね。パンツ脱がしてもきっと平気だろうなあ、、」なんて思ってましたよ。姉が二人に妹、それに母と祖母がいるような構成だと、女子のパンツの中身なんて嫌でも見ないはずが無いでしょ?パンツの中にあるべきものが無い=つまり不在について日常的に思考認識する哲学習慣がいやでもつくよねえ、、。(爆)「僕さ、社会科一問だけ未記入にしてたの。設問意図が政治的で嫌いだったし、、、」とか言う実にませたイヤミなガキだったわけですね。高村の新作「土の記」は記紀の時代(古事記と日本書紀、稗田の阿礼の7世紀)から奈良盆地で大地主だった富農の末裔の女の自殺未遂に巻き込まれた婿養子の話です。4代続く婿養子の家系に早川電機に35年勤めたぼんやりとした善人が定年退職して実家の農業をやるのだが、72歳でまだらボケが始まって最後は妻の妹と台風豪雨による地滑りで生き埋めになるというお話で、例のごとく硬質なタッチで高村の筆は流れるので レディージョーカー や 神の火同様に600ページを一晩で一気に読ませる良い小説なんですね。高村のタッチはあの合田刑事の時からずっと好きで、サムライな感じがして文体の見本のような物でしょ?村上春樹みたいにネチネチしてないから読んだらスカッといい感じなんですよ。娯楽ということはそういう部分は実に切れ味としては大事なんだよね、僕にとっては。TSUTAYAにいって4-5冊買ってカードで5000円とか1万円とか買って少し満足して、大盛りのカツカレーなんて雑誌で見つけた場所に電話して、何時までやっているかなんて確認してナビで平塚まで42キロ58分なんて出ているから、友人夫婦と木曜の午後6時とかから走って夕飯食うぐらいしか熱海の老人に楽しみは無いのですね。「土の記」の伊佐夫という男は72歳でまだらボケが始まり9ミリの脳梗塞をMRIで見つけて血栓融解剤で治療するんだけど、みんな忘れて霧の中のようになっていくんですね。美人の妻は40歳の時に不倫に走って村中の評判になって、ついに単車でダンプカーに突っ込んで自殺未遂で植物人間になって16年、毎日毎日寝ている妻のオムツを換えるのが日課の老後なんだけど、金は腐るほどあって、インテリの娘もいるけれどアメリカ行って外人と結婚して日本には帰ってこない。孫もこれまた娘で男はいない。これで家の血筋が途絶えて誰が地所を引き継ぐのかさえはっきりとしない、そんな家の後先を600ページのテキストに変える力が高村のペンなんだよね。市場化された商品交換としての世界=経済 には正解がないという答えとしか書きようが無いという結論なんだろうとも思う。虎屋の水羊羹と黒い新車のメルセデスというブルジョワの小道具を使ってよくかけているよなあと村田さやかなんかと比べて母娘の差がやはり現れるんだんだねえー。コンビニ人間だったらちゃんと売れ筋商品名を具体的に入れないとテキストが浮くなんじゃないかなあとか、、、まあ余計なお世話かな?72歳まで、あと10年だもんね。楽しい事しかなるべくしないように注意していてもどんどんと楽しい事は年を取るごとに減るんだよね。これが慣れってことなんだね。自分がマダムのオムツを16年毎日換えることが出来るかなあ?と思いながら昨夜は寝ましたね、自信はあまり無いなあと思うね、情けないなんだけど。月並みだけどはやり夫婦は健康が第一デス、ハイ!!