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Channel: 猫次郎のなんたらかんたら書き放題
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貧民発想の地平を変えよ

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似ていると思えば黙って買えば良い?

 今週は機械株を書いている。東洋エンジニアリング、石井鉄工などだ。いずれも10月ぐらいから煮詰まりリストに挙げていたもので、すべて1983年からの35年グラフは既に数枚ずつ書いているのだが、もう一度見直しを含めて1969年から書き直しをしている。リーマンショッックの後、日本株は極端に売られて上場来安値を叩いたものが少なくない。つまり戦後70年かけて営々と築いた企業価値をチャラにしてしまったものがごまんと生まれたということで、無論これは長い時間軸では即座に買いチャンスだという事である。武者氏の言う「不思議の国の金融地図」と言えるんだろう。株式益回り7%、配当利回り3%、純資産倍率0.5倍、長期金利はマイナスだ!!  いまだに日本では水(資本)が下流から上流に向かって流れている。大衆は愚鈍だからそれに気がついていない。だからこっそり株を変え。やがて流れが正常化すれば(金融秩序=金利裁定の正常化)、怒濤のごとくグレートローテーションが起きるだろう。それは700円の野村が2500円に戻るという劇的な価格変化が起きるという予測である。(なんてことはない
リーマン前に戻るだけだ。150円8617が800円になるということだ。)
48年グラフを書いたから特別にどうのということも無いのだが、まあ拾って良いもの、場帳に追加するものの候補ということだから、銘柄のうねり方が交互に天地を取るものが複数あるほうが資金は順調に回転する。
 つまりこれは個別株の動きについて細かく観察している人には自明の理だが、大半の人の感覚とは異なる。つまり大衆の感じる高安というのは、指数(225とか400とかトピ)の上下を持って高安を受け止めるが、指数を売買する人以外にはあまり意味が無い事実だろう。僕は現在は個別株のほうが有利だと感じるから、直近月足が3連続陰線と3連続陽線のものに注目して、それが交互にくるような配置を念頭において試し玉を建てたり落としたりしながら、トレンドを感じている。それは陰線も陽線も連続する(しかもそれは3ヶ月の整数倍が多い)という一般定理の措定が一応は頭にあるからで、つまり定石に応じて建てを作るからである。うねりの中でリズムをこまかく捉えるという2次元の時間軸が僕の回転の基礎になっているという構えなのだ。これを個性というのである。「何が正しいか?」ではなくて「何が自分にとって気持ちよいか?」という点で実に感覚的な売買法なのだが、気持ちがよいとクルクルが綺麗に決まる。
 基本は安いものの下ヒゲを拾うという買い方に徹しているから、月足が陰線(つまり当月は下げ相場)のものでも、下ヒゲ、極端に言えば当月の最安値付近を買えば戻り売りして利食いに持ち込める。これを底付近の安値のコツン感覚と技術というのだが、扱う銘柄なんて何でも良いのである。つまり当月の最安値付近を分割で買える感覚と技術があるのか?が試し玉の値打ちであり、その玉を当月中に利食いで売れるのかが仕切りの感覚と技術である。この単純な動作のために、道具の整備をきちんとしろとクドい話しを10年ずっと書いているわけだ。(keyさん、ここを壁に書いて張って100回読んで丸暗記するまで覚えとけ!今度会ったら復唱させる。言えなかったら即座に首だ。)
クルクルを巧みに出来る人は実に少ない。それは試し玉を使える人が、投機家1000人で数名しかいないという現実に現れる。まずほとんどの人が出来ないのだ。だからそこから一歩も前に進めないので、専業で食えないという現実の高くて厚い壁があるのだ。

 資産家とか資本家というのは、ある塊(金の塊)を有効に回転させて、その成果の範疇で生活して資本を増加させながら生きて行く。一方そうした資産や資本を持たない貧民(労働者)は、時間を労働として資本家に売って、目先の生活費を稼いで生きて行くしか選択肢が無い。つまり賃金奴隷である。両者の関係はほとんどが不可逆的で変化しないまま定年を迎え、やがて年齢とともにお払い箱という結末に至る。その数十年の間に、貧民が資産家に化けることもごく稀には起きるが(猫もその一人だっった。だって労組の委員長が社長になって、相場師になったのだから、、、)実に稀ではある。だから一般人(比率では95%以上)は、労働者の習慣(金銭的習慣)から脱皮できないままラットレースを続けながらすっと生活する。中にそれから脱皮したわずかな人を「成金」と読んで軽蔑の対称にするのだが、この軽蔑とは裏を返せば貧者の羨望と嫉妬に他ならないから、成金が数が増えると景気は良くなる。僕がメルセデスやベントレーに乗れ乗れというのは、景気が良くなれば残りの貧者にも少しは恩恵がある(いわゆるトリクルダウン)が起きやすいからだ。ベントレーに乗った人は、運転手に賃金やチップを支払うからである。その賃金やチップを溜めて中古の軽自動車を買う人がわずかながらでも生まれるからである。それは社会全体から見れば資本の余剰という形になる。金があるのにそれを溜め込む者は醜いなあと僕は思う。金離れが良いものは人間関係が滑らない。所詮、金の効用なんてものはその程度のものなのである。地獄にはもっていけないものだからだ。だからこそ有効に使用する意義があるんだろう。
 この無能な貧民を有効に労働に駆り立てる金の塊の定理を「資本主義」と呼ぶのだが、こういう事実を初等教育は絶対に教えない。無能を無能なままで長期に安定して労働力に固定化するためである。共産革命を世界化しようとしたトロツキーやゲバラは、裕福なインテリの資本家の子弟だったから、ベントレーやロールスを愛した革命家である。ちょうどアールデコの時代でロシア革命こそ資本主義の修正の萌芽だったのである。だからこそ、貧民が幸福になるには、白い猫が先にベントレーに乗れということである。そうすれば資本主義は必ず修正されるだろう、そう思うな。

 14年後、新入社員の22歳のギャルがベントレーに乗って50億の金を持って会社に入って来たら、先輩や上司は彼女にどんな金銭的教育が可能だろうか?自分がそういう上司の立場になった時を想像して欲しい。革命とはつまりそういう起こりえる近未来の現実の事である。トマピケティーが恐れる r>g とはそういうポスト修正資本主義の世界なのである。貧民の発想力の地平は狭いだろ?だから貧民のままなのだ。
 椿は現在小学2年生で8歳だ。なんでも子供は覚えが早い。クルクルなんて半年もあればきっと覚えてしまうだろうなあ。そのうち爺にベントレーを色ナレで7色分買ってくれるかもしれないなあと期待しようかと思う。長生きの甲斐がそうすれば少しはあるのかもと狸の皮でも数えてみるか?(爆)

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