元「渋谷のカリスマJK」は、アラサーの今も「リア充」なのか
私が思うに、インスタを賑わすキラキラ女子たちの正体は、「今が私の全盛期」という大変楽観的な思想に支えられた人たちで、逆に彼女たちを「キラキラ女子」なんて冷笑的に見ている若干スレた女子たちの正体は、「(高校時代なり大学時代なり)あの頃が私の全盛期」だったという大変残念で残酷な思いに苛まれている人たちだ。さえない10代を過ごした人の割合が多い前者に比べて、スタートダッシュで学生時代にブイブイ言わせていた後者の思い出は華々しいが、人生をマラソンに例えれば途中でがっつり減速している愚か者とも言えるわけで、まぁどっちが悪いとかイケてるとかいう話でもない。むしろ、現実をお幸せに生きるという意味では「今が全盛期」女子たちの方が長けているのは明らかである。そして「あの頃が私の全盛期」の人は、インスタでキラキラライフをアップするほどバカにもなれず、予定調和な現実にクサクサしていて、現在の自己評価は結構低いのだが、いかんせん全盛期の自己評価もこっそり引きずっているためにプライドは高く、高飛車で口が悪い。私の周囲の元ヤマンバギャルや元キャバ嬢は総じてこの傾向が強く、二人で深夜にちょっと飲みに行ったりお茶したりすると、会話の9割は人の悪口、残りの1割はおばさん的な自虐になる。若い時がそんなに楽しくなかった、という人ならわかるのだけど、若い時を楽しんでしまった人が人生ずっと右肩上がりに楽しむのは結構難易度が高い。同じことだったら老体で経験するよりピチピチ桃尻19歳で経験した方が楽しいし、同じ男に会うのだって自信も値段も高かった20歳で会っていれば心踊っても乳も肌も垂れ下がった30代で会っても別に嬉しくない。せいぜい、若い子にこの深みはわかんないぜとか言いながら年代物のウイスキー飲んだり、若い頃はこういうの分かんなかったわと言いながら山水画を見たり、若い子ってバカよねぇと言いながらブローティガン読んだりするのが関の山で、そんなの、盗んだバイクでナイトオブファイヤーな夜の帳に走り出し、ルミカが転がっただけで爆笑していた若い時分に比べればしょぼいことこの上ない。そもそも多くの初体験は若い頃に体験してしまうわけで、それを追体験したところで1回目ほどの高揚なんて期待できない。ヒリヒリと刺激的だった若い頃の記憶を胃の中に入れたまま、それを引きずらずになんとか今の生活とも折り合いもつけて、結構楽しく生きるか、というのは大変大きなテーマである。彼女の話を聞いていると、その壮大なテーマに早くそれなりの答えを見つけない限り、私たちの未来には絶望しかないんじゃないかと若干暗い気分になる。
私より一つ年上で、すでに四捨五入したら40歳になる彼女は、渋谷ギャルが天下を取った時代の渋谷ギャルだった。大田区に生まれ、中学2年生の時に初めて茶髪にしてピアスを開け、姉の買ったヴィトンの財布を頼み込んでお下がりにもらい、しかも受験にも勝って有名大学の付属校に高校から入学し、いろんな意味で最強の女子高生の立場を手にしてストニューにも小さく写真が載った。
「高校時代の記憶って結構曖昧にはなってきてるから、一応失恋して泣いたとか試験前めんどくさいとか先生ムカつくとか、そういうこともあったんだろうけど、全体的には眩い(笑)。男に媚びるとかもなくて、ひたすら楽しくしてて、それで結果的に男にもチヤホヤされるって最高。バイトはしてたけど別に今よりお金とかないはずなのになんか豊かだったし、忙しかったし、暇だった。本当バカなんだけど楽しかったな」
高校1年生の時に、中学時代の友人に誘われて行ったクラブイベントで勧誘され、パラパラのイベントなどを打つサークルに入った。イベントのチケットをうまいこと売れば収入になったし、日サロの割引券などももらえるようになり、お金がないときはセンター街などで何をするでもなくサークルの友人たちと集まってたむろし、時々それぞれ男とラブホテルにしけこんで、終わった後にまた合流することもあった。
高1の初めに同じ高校の同級生と付き合ったが、夏休みには別れて、そこからは特定の男と付き合わずに、ノリでホテルに行ったり、カラオケでいちゃついたり、クラブでナンパされるがままに持ち帰られたりする期間が続いた。何度も妊娠検査薬を買う羽目になったが、運の良いことに一度も妊娠はしなかったし、性病にもかからなかった。
「パラパラビデオの撮影する、とか、イベントのミーティングする、とかで集まってたことが多いと思う。それとは別に、同じ高校の友達ともよく帰りに渋谷出てカラオケ行ったり買い物したりしてた。休日の記憶があんまりないんだよね。でも休日でも制服で出歩くこともあったから色々記憶が曖昧なのかも。
逆にクラブ行くときは、学校に私服持って行って帰りに着替えてた。その時って、服は持ち歩いて着替えるけど、靴とバッグが鬼門なんだよね。学生鞄にギャル服着てたら変でしょ。かといっていくら上履きに履き替えるって言ったって制服にローファー以外の靴も変でしょ。だから前の日にバッグと靴ロッカーに仕込んでおいたり、次の日困らないようにローファーは2、3足持ってたり」
当時、ワイドショーや雑誌で109のバーゲンの様子が報道されたり、ギャルブームが社会現象になったり、そんな記憶や、それに少し迎合するような思い出がある人は多かろうが、彼女はまさにセンター街でインタビューされ、雑誌に顔が出て、渋谷ギャルブームを牽引する渋谷ギャルとして、竜巻の渦の中心部で10代を過ごした。雑誌で「流行している」と取り上げられるものは、彼女たちが身につけているもので、今時の女子高生として紹介されるのは彼女たちの姿だった。
ヤリマンヤリチンという言葉が直接すぎるせいか、当時ウテウテなんていう代替語が一瞬流行ったが、彼女のそういった生活は大学に入ってもしばらく続いた。付属校からエスカレーターで入学した彼女たちは、すでに完成した友人関係を武器に、大学でも大変居心地の良いポジションに座り、もともと知っている先輩が立ち上げたインカレサークルの勧誘のためにしょっちゅう渋谷や新宿に出向き、可愛い女の子やかっこいい男の子を捕まえてサークルに入れた。
サークルで千葉の海に新歓旅行に行った際にも、一つ上の他大学の男と夜は同じ部屋に泊まり、その後もちょっと肉体関係が続いた。同じ学部の男ともすぐに仲良くなった。ただ、大学も1年生が終わって2年に上がる頃に、飲み会で出会った三つ年上の法学部の彼ができてからは、「まともな恋愛の方が楽しい」と思うようになって、ヤリマン活動はしなくなった。高校時代ほどではないが、数ヵ月の留学も含めた彼女の大学生活も、恋愛や遊びやサークルに彩られて、華やかに、賑やかに過ぎて行った。彼氏とは結局2年間の交際後に別れたが、その後はスポーツ新聞の記者と1年ほど付き合った。
普通の就活を経て、通信会社に入った彼女を待ち受けていたのは、高校時代には想像もしていないほど平坦な日々である。基本的に、爆笑することも号泣することもあまり起こらない。帰りの電車賃すらなくてマックで夜を明かすような不安定さは限りなくゼロに近くなったぶん、何もしていないけれど何故か満たされているセンター街での退屈な日常も無くなった。元が生真面目だからか、会社で上司の受けは悪くなかったし、問題を起こすこともなく、普通に出世し、プロジェクトの責任者のようなポジションにもなり、30歳手前で外資系の企業に転職した。付き合っている人はいることもあればいないこともあるが、魂が昂ぶるほどの恋愛は久しくしていない。
「前の会社の条件は悪くなかったけど、そんなに辞める人もいないし、自分の未来の姿が数パターンしかなくて、それが全然羨ましくない上司とかに重なると思うと、陰鬱になるじゃん。それで、このまま終わる感じがつまんないと思って転職。ちょっと給料上がって年俸制になった以外は別に変わらないよ。外資系でも、上司も日本人だし、海外に転勤することもないし、普通の会社員.
このまま人生終わるのかなって思う。結婚もしなきゃなとは思うけど、もうどこで折り合いつけていいのかよくわかんない。若い頃の友達も結構結婚して、結婚式とか行くと、よく妥協したなって思う」
未だに、不安定で刺激的で楽しい高校生活のような日々を身体にインストールしたまま、安定した刺激のない大人としての生活に何処と無く居心地の悪さを感じる。人生山も谷もあるのなら、またあの時と同じくらい昂ぶる山が来ないと割りに合わない。ただ、それは高校時代の刺激をインストールしたままアップデートされていない身体には、結構無理な話でもある。
「若い頃は楽しかったね、今はしょぼいけどそんなもんだよね、俺も若い時はめちゃくちゃやったけど落ち着いたわ、みたいなのってみんななんで納得できるのかな。生活レベル下げるのが難しいのと同じで、生活の楽しさレベル下げるのも難しくない?若い頃、あんなに威張って歩いてたのに、今、あの頃傅いてたような人たちと同じ立場で会社行って、普通に仕事させられて、なんか納得できないんだろうね」
結婚は、彼女にとっては、最後の砦らしい。「結婚したら、もう落ち着いた自分を認めて、しょぼい感じで生きて行くのを決めたっていう感じがしてイマイチ決断できない」という彼女が、今から刺激的な生活を手に入れるとしたら、逆に天災や戦争で最低限の幸福も失うくらいしか想像できないが、かといって見えきった未来をつまらないと思う気持ちは、同じ時代を渋谷で生きたものとして、とてもよくわかる。
鈴木 涼美 より転載
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娘が今年、新しく華カフェをオープンした。22歳で結婚して現在33歳、既婚で子供3人のまあ現代風な肝っ玉母さんという感じの強気な女である。鈴木が描く上記のようなオシャレな元JKの標準的なライフスタイルとは見た目以外は大違いでとにかく小さな頃から手は腰というイバリンボで、しっかりと誰かの俺様最高遺伝子を受け継いでいる。だからなんでも自分でやりたがる。ちょうど年代で言えば、鈴木涼美ちゃんと同年代で、元気な元JKという時代の産物なのだろう。涼美ちゃんは、GQという僕の定期購読している男性誌に寄稿する若いインテリライター女子で、東大卒の元AV女優で新聞記者(日経)という変わった学歴と頭脳と経歴の持ち主で、お勉強はできた女なのだろうが、それ以上に観察眼が鋭いのでファンになった。テキストが「女にしておくにはもったいない」ほど秀越で(この種の表現は無論FCにひっかかって当節はセクハラと言われるらしいという自覚はあるが、、)男らしい!(爆)
あっけらかんと諦めるその諦め方が鋭利な直線で断面をスパッと切断したような歯切れの良さがあるという点を僕はすこぶる評価するものであって、きっとGQ編集長の鈴木さんはその点をもって起用したのだろうと思う。内田樹さんと涼美ちゃんが並んで記事になる雑誌って(親子以上の年代差がある)なかなか良いだろ?と僕は思うな。
「若い頃は楽しかったね。今はしょぼいけどそんなもんだね、、、、」というふうに彼女たちの大半が感じているなら、若い頃からの時間の流れはきっと大筋で失敗だったという事じゃないんだろうか?もっとシビアな現実に突っ込んで行って人生の冒険をしたほうがきっと良かったのだろうねと僕は思う。迂回したってどっちみち出口は一つなのだから、その出口に接近して身動きが取れなくなる前に若い肉体としてすることがあるんじゃないかな?と老人になって感じるのじゃ既に遅すぎるんだよなあと僕は思うな。。
古い話だが、夏目漱石が死んだのは49歳、中上健次が死んだのが46歳、三島由紀夫が死んだのが45歳。文学者が死ぬのは50歳に届かない年齢が相当数いるんだな。無論長寿の文学者も多いのだが、夭折した人には直線で切ったような歯切れの良いテキストが目立つ。50歳を待たないで人生で大半のことは既に勝負がついているのだろうから、残りの時間はおまけのようなもんだ。だから今更おまけをどうするかなんて考えてもしかたがない。おまけというのはおまけ以上には最初からなりっこないのである。割り切って楽しんだほうお得だろうと思うな。
老人になって出来る事って日常的に結構あるんだな。料理、洗濯、掃除って家事の3要素って毎日必要な事で、これがないとゴミ屋敷で栄養失調で病気で死ぬってすごく簡単な結論が待っている。ほとんどお金っていう要素とは無関係なんだな。ソロライフが良いのは、そういう出口までの猶予時間をどう具体化するかってことじゃない?金で買って誰かに押し付けてどうにかなるもんじゃないっていう点で現実的なんだよ。まさに能力がそのまま生活の質になる時間なんだな。自分はソロでどこまで何が出来るかってスパッと現実的に直線で仕切るって相当大胆な人でないと無理なんだな。そういう思考や行動の習慣が無いからなんだ。
今もリア充な人はそういうことが習慣化できた人なんだと思う。