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Channel: 猫次郎のなんたらかんたら書き放題
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暑気払い

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 昨夜は暑いので12時ぐらいまで風呂上がりにダラダラとマッサージチェアで読書をしていた。現在、ボラーニョの「第三帝国」とリリーフランキー「ぼろぼろになった人へ」を併読している。常に2-3冊の併読はずっと前から癖になっていて、文芸2冊、エッセイや評論1冊という併読パターンが多い。批判的視点、肯定的視点という両者が僕には同時に必要なんだろうと思うし、その維持のための読書形態に自然となったのだろう。内田樹の「映画の構造分析」などは圧巻で、小津安二郎やヒッチコックの視点の位置の変遷と効果についての評論など読んでいると、まさにまたその当該映画を見たくなるから不思議なものだ。今は便利な世の中で、ネット配信で相当数の過去の名画が見られるような環境になってきたから、時代と技術というのはさすがにすごいものだなと思う。中上健次はたくさん小説を書いているが、かなりいろいろ映画化されているのを僕は知らなかった。今度ゆっくりひとつひとつ見てみようと思う。
 20代後半は僕には少々不幸な時代だった。最初に入った会社で労働運動が起きて(というか起こして)、たまたま弾みでそのボスをやることになったので左遷された営業職で2年ほどずっとさぼって毎日名画座巡りばかりをしていた記憶がある。1日2-3本、1月で50本前後を2年もずっと見続けるともうほとんどのものを見るということになる。それ以来、映画はげっぷが出入るほど見たからもういいやという気になった。歳をとってからは4年ほど前に蔦屋で1ヶ月8本のDVDレンタルというのをやってみたが、これも2年ぐらいで見るものがなくなって辞めた。要は映像芸術というのはすぐに飽きるのである。それは映画が興行であるかぎり、多数の共感を得るのが商業ベースで必要な要素の最大値であるからだろう、大衆好みのある種の構成や結論に到達せざるを得ない(例えばわかりやすい例なら二元論の勧善懲悪とか、、)それが実はツマラナイ要素なんだと思う。NHKの名画座でAMERICAN SNYPERを2ヶ月ぐらい前に見たのが最後だったが、なかなか良いアメリカンな作りの映画だった。中央と辺境という点の位置からイラク戦争を捉えているのがまさにアメリカ的で、これは中国と日本の歴史的関係に近い。主体と客体の視点の位置関係と言ってよい。だから阿部は憲法改正にあれほど執念を燃やすのだろう。あれは主体性がないということだろう。きっと中身の問題ではないのである。でもその主体性の無さというのが実は戦力的主体性として機能しているということに気がついていない=まさにそこが辺境の辺境性なのだろう、そう思う。

 ブランチはゲソ焼きソバを作った。麺よりも野菜と具のほうが多い、野菜炒めゲソ入り麺付きというほうが正しい。昨夜は猫次郎ビーフカレーだった。ステーキ用の大きな角切り肉をソテーしてから60分煮る。とても辛いから暑気払いになる。今回はセロリと人参を多めに入れてみた。
 

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自分で材料を買って作って食べることを一番重視した生活をしている。人間は生まれてから死ぬまで、食べて出すを毎日をずっと続けている。それが出来なくなった時が死ぬ時だから、毎回のそれを重視するのは当然だ。その当然をあまり当然に考えない、感じない都市生活が普通になっているような時代なんだろうと思う。それはコンビニの発達と相関していると僕は思う。中食とか外食とかに台所は必要ないからだ。
それを大事にすると素敵なキッチンが欲しくなる。で雑誌で素敵なキッチンの例を見ながら、次の改装ではどうしようかという妄想を膨らます。フラットで出来ることには限度があるが、飽きたから少し弄りたいなと思う。

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今夜はタンドリーチキン

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