親族の基本構造 1
大学院では今期は「家族論」をやっている。
今回のお題は「父親」。発表担当のマスダさんがいろいろな論者の家族論。父親論を引用してくれたので「父親をめぐる言説史」を一覧できた。
日本人の家族論の多くがサル学の知見に依拠しており、精神科医たちまでが霊長類の「延長」として家族をとらえていることに私は一驚を喫した。人間の家族はゴリラやチンパンジーの「家族」とは成り立ちが違う。レヴィ=ストロースは家族論を語るときの必読文献だと思うのだけれど、家族論者のどなたもこの人類学者の知見には特段のご配慮を示されておられないようである。よい機会であるので、レヴィ=ストロースの「親族の基本構造」の考想を簡単にご紹介しておこう。レヴィ=ストロースは、ラドクリフ=ブラウンの先行研究をふまえて、親族の基本単位が四項から成ると論じている。
ラドクリフ=ブラウンによれば、伯叔父権という述語は相反する二つの態度の体系を意味している。第一の場合、母方の伯叔父は家族の権威を表象する。彼はその甥にとって恐るべき人物であり、甥は彼に服従し、彼は甥に対してさまざまな権力を行使することができる。第二の場合、伯叔父に対してさまざまな親しみの特権を行使し、軽んじることが許されるのは甥のほうである。そして、母方の伯叔父に対する態度と父親に対する態度のあいだには相関関係がある。いずれの場合でも、われわれは二つの同一の態度の体系を見い出すのであるが、それは逆転しているのである。つまり父親と息子の関係が親密である集団においては母方の伯叔父と甥の関係は冷たいものであり、父親が親族の権威の受託者である場合には、甥が親しくつきあうことができるのは伯叔父の方なのである。この二つの態度集団は音韻論で言うところの対立する一対をなしているのである。
問題は甥と母方の伯叔父との単独の関係ではなく、「兄弟/姉妹」「夫/妻」「父/子」「母方の伯叔父/その姉妹の息子」という4つの「対立する一対」の有機的関連なのである。
実例を挙げよう。
母系のトロブリアント島では、父子はへだてのない親密さで結ばれており、甥と母方の伯叔父はきびしく対立している。コーカサスのチェルケス族では父と子は非寛容な関係にあり、母方の伯叔父は甥を支援し、結婚に際して馬を贈る。
またトロブリアント島では夫婦は親密であるが兄弟姉妹はきわめて厳密なタブーによって親しく交わることを禁じられている。チェルケス族では逆に兄弟姉妹はきわめて親密であるが、夫婦は人前ではけっして一緒に行動せず、夫に妻の健康を訊ねることはタブーになっている。などなど。
これらの事例からレビィ=ストロースはこの二対の親族関係が次のようなルールで律されていることを発見する。
この構造は二つの相関的な対立関係で結ばれた四つの項(兄弟、姉妹、父、息子)から出来ている。その結果、二世代のそれぞれにおいて、一つのポジティブな関係と一つのネガティブな関係が存在することになる。この構造は何か?この構造の存在理由は何か?答えは次のようなものである。この構造は考え得る限り、存在しうるもっともシンプルな親族構造である。これがまさしく親族の原基なのである。
どうして二世代にわたって二対の対立関係が存在しなければならないのか。その理由をレビィ=ストロースはあっさりと「インセスト タブー」として説明している。
人間社会では一人の男は女を別の男から受け取るしかなく、男は別の男に女を娘または姉妹というかたちで譲渡するのである。親族は静態的な現象ではない。それが存在する唯一の理由は親族が存続することである。われわれは人種を継続させる欲望について話しているのではない。そうではなくて、われわれが語っているのは、ほとんどの親族関係において、任意のある世代において女を譲り渡したものと女を受けとったものの間に発生した始原の不均衡は、後続する世代において行われる反対給付によって相殺されるしかないという事実である。
相変わらずレビィ=ストロース先生は鋭くものごとの本質を言い当てている。親族の存在理由は親族を存続させることであり、四項からなる基本構造は親族のダイナミズムを担保するための必要最小限のかたちである。女性はどうなるのか、というお尋ねが当然あるだろう。どうして「母と娘」「父方の伯叔母と姪」の四項からなる親族の基本単位は存在しないのか、と。
現に、多くのフェミニストたちはレビィ=ストロースの「女の交換」とか「女の譲渡と反対給付」というような言い方に激怒されて、レビィ=ストロースはセクシストに過ぎぬと断罪して『構造人類学』を悪質な妄言に満ちた書物であると断じて焚書坑儒してしまったのである。
愚かなことである。どうして男が「交換の主体」であり、女が「交換の対象」であるかというと、答えは簡単。男それ自体には交換物としての価値が無いからである。男は再生産しない。再生産のためには女100人あたり、男一人いれば十分である。99%の男には生物学的な価値が無い。無価値なものをもらっても、反対給付の義務は動機づけられない。それでは親族は形成されない。
内田 樹 「そんな日本でよかったね」より転載