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引退人の真の幸福ってなんだろう?

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義母の部屋からの絶景

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30平米の居室

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でっかくて甘い北海道のメロン

 今年の夏は普段より蒸し暑い気がする。気温よりも湿度が高いのはきっと台風がたくさん来ているせいだろうとも思う。湿度が70%になると空気が肌にまとわりついて気持ちが悪い。そういうときは冷めた温泉に入ったりシャワーを浴びるとすっきりする。桃山温泉はナトリウムカルシウムアルカリ温泉だから、冷めても結構ねっとりしている。10分も浸かっていると眠くなって昼寝になりやすい。
昨日は無印でセール品を買った。ボーダーのニット3枚とニットのボクサーブリーフ2枚で3200円。単価600円ちょっとだが、オーガニックコットンで肌障りが良い。多分半額以下になっていると思う。(下着は750円が360円とかだ)
同じような下着をポールスミスで買うと1枚4000円だから10倍する。だから稼ぐ事と使う事のバランスを工夫すると結構楽しく遊べるんじゃないの?と思うし、豊かに暮らすのにそんなに大金はいらないと僕は思うね。豊かさで差が出るのは時間と自由さのほうがグンと大きいと経験的には思う。好き勝手が出来るのが「幸福と贅沢」という事だろうと思う。嫌な事をするのが一番の不幸だからだね。
 9月から義母が熱海の老人介護住宅施設に入る事がきまった。住所は僕と同じ伊豆山だ。ここから車で5分、約3キロほどだから、歩いても35分ぐらいでたどり着く。万が一大きな地震などがあって崖崩れとか道路封鎖があっても3方向からアプローチが可能なのでなんとかなるだろう。施設自体が、地区の避難所になっているからヘリポートも備蓄倉庫もあるし、地域の防災拠点となっている築10年ほどの新しい建物だ。
 部屋からの景色はまさに絶景で相模湾と初島、大島一望という豪華さだ。30平米の個室でトイレ、シャワー、エアコン、テラス付き。風呂は大浴場が掛け流しの温泉(伊豆山温泉)で、食事は3食を大食堂で食べる。食費込みで月額14万ほどらしい。東京や都下その近郊では大体25-30万程度が平均らしいので、田舎は介護費用も割安である。入居一時金はゼロだから、一般の入居一時金のようなものは必要ないという手軽さである。仮に介護度が高くなると次のステージを施設が紹介してくれる。車椅子専用のフロアもあって、特老も100名分併設されていて優先入居権があるというので、ステージが進んでも追い出される事は無いということである。とにかく24時間、ナースコールのように見守りスタッフが常駐してくれるのが嬉しいし助かる。外出も外泊も自由で、きっと毎週日曜日にはここに来て一緒にご飯を食べたり、図書館に連れて行ったりすることが出来るだろうと思う。足が少し弱くなっているので歩行時間がかかるし、杖が必要なので僕の車を変えるかなあとも思う。2枚ドアは乗り降りが不便なのね。セダンの4WDが良いかなとも思うが、玉が無いので待っている。5.2 V10のガヤルドエンジンのS8かS6アバントが良いかなとも思う。あまりターボ車が好きでないので大排気量のツインカムクワトロが良いかなと玉が出るのを待っている。

 座って半畳寝て一畳というけれども、年間200万ぐらいで十分豪華で快適な暮らしが出来るのは田舎がコストが安いせいだろう。だから老人国家になったら、年寄りは熱海のような温泉地でゆっくり老後を楽しんで暮らすのが合理的だろうと思うね。10年で2000万、100年で2億だから、金なんて年金ぐらいでどうにかなるんじゃないのか?と思う。80にもなれば第一何も必要がないぐらい欲なんて消えていくんだね。
車も運転できなくなるし、時計も服も指輪も靴も意味が無い。せいぜいごちそうを少し食べるぐらいだろう。医療費もそんなにたくさんは実際にはかからないのだね。だから金なんてほとんど無意味だから1億もあればおつりが来るだろうと思うな。
 今日は大きなメロンを朝から切った。北海道旅行の義妹から大きなのが届いた。これで1/6だから3日は楽しめる。まだ中上健次にハマっている。「ラプラタ奇譚」は良い!8-9月は中上月間になると思う。




台風週間

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熱海港

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岩木山

 台風が過ぎたようだ。とにかく7階から見る熱海の風景は、「見た事が無いほど凄い雨と風」だった。排水が間に合わず、排水溝からあふれた水が急斜面の道路をどんどん流れている。電信柱に水がぶつかって50センチぐらいの大きな弧を描いている。『大丈夫かな?』と心配だったので一歩も部屋を出なかった。後でゴミを捨てに行ってこようと思う。地下の駐車場に浸水が無いとよいけどね。僕の現在のパレットは1-2階しか動かないないのでリスクは無いのだけれど、ちょうど15年ほど昔の台風でダイムラーW6の5.3に3年ほど乗っていたのだが、それを山の手通りのパーキングパレットに入れていたら地下が浸水しておじゃんになったのね。エンジン冠水で廃車にしました。
 ニューズでは静岡県は12時間で400ミリも雨が降ったそうで、そんな記録は聞いた事が無い。事故が起きて当たり前の雨量だったということで、熱海ー小田原の東海道線と伊東線は終日運休でまだ動いていない。
山手線でも木が倒れて運転できないそうだから、通勤客は大変だろうねと思う。

 熱海市は、大雨、洪水、強風、波浪警報と土砂崩れ警戒警報が出ていたが16時ごろ全部解除になった。それでも降雨量がひどかったので、緩い斜面では崩落の危険性が今後もあるんだろうと思うから、しばらく夜間のお散歩は中止する。リスクを取るほどの事でもないので、こういう時は晴耕雨読するに限る。読みたい本で在庫しているのが70冊ぐらい現在溜まっている。気合いを入れると2月ぐらいで消化すると思う。

 天気の悪い時こそ料理を作るのも良い。ロールレタスというのを作ってみたが、豚肉のレシピを鶏肉に変更してやったのだが、「これはイケル」と思った。わけとく山の野崎さんのレシピなんだが、人参、ごぼう、タケノコ、こんにゃくを短冊切りにして一緒に煮込むのね。酒、みりん、醤油、昆布と純和風の味付けだから、ご飯とよく合います。このごろはモチ麦ダイエットをやっているので、コメ2合にモチ麦200グラムを入れて炊くと大体3合ぐらいになる。それを3日ぐらいにわけて食べるという感じ。途中で、僕の18番のカレー用とかチャーハン用にする。特に好きなのはバター醤油味のジャコチャーハンだ。これはネギを1/2ぐらいみじん切りにしてジャコと一緒に炒めると実に美味しいと思う。

 you-tubeでaudiセダンを見ていたら、トランスポーターという映画でW12 A8  6.0が出てきた。最高速がアウトバーンでは286キロだった。これをツインターボ化したのがベントレーでこれは320キロだったと思う。いずれも日本仕様は自主規制で250キロでカットオフだから同じ事になる。東名での実用速度はせいぜい200キロ程度だからどっちでも同じだが、居住性重視、静粛性重視だと12気筒は良いのだろう。それでも待ち乗りで5キロぐらいは多分走るんだろうと思う。これがベントレーだと100リッターで300キロは走らないということで、随分と悪くなるね。V10 ガヤルドと比べてどうかなあ?とどうでも良い事を動画で見ている。まあ暇だからいいかね。

群集心理と反面教師

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相模湾一望  赤い屋根の「水葉亭」が8月一杯で廃業する。


東京駅から新幹線「こだま」でわずか45分。首都圏至近の温泉地、熱海が活気づいている。週末、熱海駅前には外国人を含む多くの観光客が押し寄せ、足湯に浸かり、大道芸に拍手している。2016年秋の完成を目指して駅ビルの建設が進み、大型タワーマンションも姿を見せ始めている。実際、入湯税から推察される宿泊客数は2011年を底にV字回復。宿泊施設は人手不足の状態が続いている。
しかし、近年まで熱海の印象は決して明るくなかった。2000年前後から廃墟化した大型ホテルの姿がテレビ、雑誌などに数多く登場。熱海には衰退した温泉地という印象がつきまとうようになった。長らく低迷していた熱海にいったい何が起きているのだろうか。

        東洋経済オンラインより転載

熱海とか箱根、日光など都内から近い観光地の復権がこのところ起きている。この現象は面白い。きっと関西なら京都と琵琶湖、神戸と六甲というような都市に近い場所で歴史的にずっと古くから観光的に栄えた場所にも同様に人気がここにきて急に出てきたように思う。

そもそも資本主義の本義とは 「より遠く、より早く、より効率的に」という3条件で400-500年世界中が突っ走ってきた。それが1990年、日本の土地バブルが一番最初に弾けて、資本主義の限界が見えてきた。世界のどこにも空間的に辺境が喪失してしまったのだ。反面、中世的な世界=定常的で成長しない社会の特徴とは「より近く、よりゆっくりと、より寛容に」という価値観の対立的な逆転がある。だから海外旅行に押されて一時は没落した熱海がここにきて復活してきたのは、先祖帰りが起きているという事でもあるんだろうと思う。人の人気というのは理屈ではないのだから、以前のようには金も暇もエネルギーももう豊富には無くなったのだから、「近くて、ゆっくりできて安い」熱海が人気になるのはむしろ当然だろうとも思うのである。
 
 仕事柄、20代からずっとファッションやモードのトレンドばかりを商売にしてきて感じるのは、もう日本の産業には金融以外にはほとんど伸びしろが無いと思うので(金融も才能がないので結局駄目で落ちこぼれているが)、熱海の緩さが人気なのは実際に住んでみるとよくわかるのだ。
忙しいとか自由時間がないとか24時間が仕事だとか、生産的に働く人がちっとも魅力的に見えない時代になったということだろうし、「働かないで豊な人」=『フーテンの寅さん』のような人が実は一番人気があるんだろうし、みんなそうなりたいとどこかで思っているのだろうと思う。
 山師、詐欺師、相場師なんて商売は、盗人と同じようなそういう非社会的な職業だから、生産しないで消費する(浪費する、奢侈する)というストックを蕩尽する運動が起きているということだと思う。

このサイトには毎日このところ500-600名も見に来る人がいて、その半分は相場で、それ以外は
料理や遊びや奢侈の事を見ているわけだ。所詮、誰にとっても金と暇なんて使ってナンボの世界なんだが、貧乏性の人は(貯蓄優先で切り替えが出来無い人は)死ぬまで結局は金と時間の貧乏が治らない人が多いのだ。どこかでエイヤ!とリバースギアに入れ換えて反転しない限り、本当に豊かな気持ちになどなれっこないのは当人が一番感じている事なんだろうとは思う。だから怖いモノをきっと見に来るのだろうねえ。
日本人は金儲けがど下手だが、それ以上に金を使って楽しむのがもっと下手なんだろうと思う。それは本来的に貧乏な民族性だという事である。資源が無いからそうなるのかね?

殺されないためにはスカスカの田舎に逃げよう

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4冊借りた

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伊豆山花火大会、水葉亭にて

普通の人が突然刺されるという事件が頻発している。夏の混雑しているプールで、女子が水着のケツを刃物で切られたのから始まって、中学生が路上で何者かに突然刺されたとか、中学2年の男子が勉強を嫌がったら父親と口論になって刺し殺されたとか、まあなんでも最近は愉快犯か、精神異常か、尊属殺人かとこの国は確かに劣化が激しいようにも思う。人を殺したり、大怪我を負わせてまで自分の意志を通そうとするトンチンカンな努力を人はなんでするのだろうか?自分以外の他人にそんなに多くを期待するという意味がまったく理解できないことばかりが起きるのだ。そんな他人に期待するようなことを自分で実行実現可能かどうかを冷静に考えてみればわかる事で、人間なんて誰もが大したもんじゃねえ事ぐらいは馬鹿でもわかる。だからシレーっと斜に見て他人様への期待なんて諦めれば当たり障りのない緩い暮らしになるはずで、それで誰も困らないのだからお釣りが来る。
 こんな物騒な事が起きると危なくって混んだ場所には行けないねえとまことに迷惑な話だ。狂人というのはどんな国にもどんな時代にも必ず一定数は存在するという事だろうが、ネットの発達のせいで事件事故報道が確実にみんなに届くから増えたような気がきっとするんだろうと思う。ミッシェルフーコーの「監獄の歴史」を読むまでもなく、多数と少数を区分する境界とは何か?その線引きを功利的に実現するのが近代の特性だろうと僕は思うが、その功利性の価値基準に最近はちょっとしたズレや誤差が目立つという事ことなのかもしれない。さてそのズレに不幸にも現実的に遭遇する人としない人の差異とはなんだろう。つまりは集団との距離感と接触頻度の積に他ならないから、仮に集団を信じないのだとすると辺境で暮らすという選択肢が実は安全である。という事で僕は震災後は田舎が安全だと思ったので熱海に暮らしはじめたのだ。まあ、緩くて楽な暮らしぶりだから暇な人は真似たら良い事が多いだろうと思う。都会的な刺激はほとんど無い暮らしだから、深く何か絞ったことに深耕していくのには適した環境だろう。個人的な技巧とか技法とか、主に感覚的な事を深く掘り下げたりするには適した時間と空間がそこにあると思う。それは他者との密度と距離感に起因しているように僕には思えるのだ。
一夏に3カ所で5回花火を見て、その構成と印象の差なんてことをどう感じるのか。金とは無関係でも楽しい事がたくさんある。

 今夜は伊豆山花火大会という事で、地味目の花火を今月で閉館する水葉亭の玄関付近で見物した。熱海の港よりは地味だが、海岸から打ち上げる花火を50メートル上の135号線で見ると視線の位置が爆発する場所に近いので大きく感じる。なかなか良かったなと思う。
今日も熱海図書館に言って4冊ほど借りた。日野啓三と中上健次だ。二人ともそういえば芥川賞の受賞者だし選考委員もしていたと思う。二人とも既に鬼籍に入っているが僕の好きな作家たちだ。

今日はクルッと2枚落ちて2枚乗せて回転した。まあ2番底に向けてお辞儀を始めたものが多いように感じるが、秋は安いという事が下げ相場の季節的な特性だから11月の突っ込みを期待しようと思う。

田舎のオバさん的暮らし

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定期購読の雑誌

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マグロズケ山掛け丼
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キーマカレー ランチ


3年契約でGQという男性誌を定期購読している。今年は4年目でリピートした。編集長の鈴木さんのファンだからという理由だけで、別にコンテンツがどうのという理由は無いのだ。贅沢品ばかりの構成の資本主義の先兵のような雑誌だから、熱海で売っているようなモノはゼロである。東京や大阪、名古屋ぐらいのスケールの大都市以外では手に入らない(ネットなら可能かもしれないが、、)商品や店舗サービスばかりである。男の雑誌の質はこのように現実性という意味ではすこぶる低いから(スポコンの少年漫画の世界のままであまり現実性がなくても気にならないから)、現在国営放送の朝のドラマのような「暮らしの手帳」的なリアリズムに欠ける。まあこのように程度がある程度男性誌は低く無いと売れないという現実があるんだろうが、SF小説と同じで車が空を飛ぼうが美女がたくさん寄ってこようが幻想だから他愛無いですんでしまう。そこから先がないのだね。
  この点で婦人誌はリアルが部分的充実を見ないと売れないと思う。クロワッサンとか&premiumとかマガジンハウスの売れ線でも、料理のレシピなんて見ると、特徴的でしかも旨いという点が際立っていないと売れない。本そのものの価値が、コンテンツが良いかどうかにかかっているという点でリアルでないと売れないのだ。最近では 「甘酒」を使用したレシピとか優れた特集があって、これで食卓が随分と豊かになるという経験を僕はした。こういうのは男性誌には無いから、やはり男女で考えている点が異なるという事があるんだろうと思う。「より良い暮らしへのガイド」という雑誌の特性があるのだろうが、そういう欲望をちゃんと持っている女はいても男はほとんどいないという事なのだろうと考えるほかに答えが無いのだ。「より良い暮らし a better life」というのは切りがないが、その切りがないことをするのが女の人生なんだろうとこのごろ強く思うのだ。その点は男はすぐに諦めてしまうから、そういう雑誌が出来てこないのだろう。

 40歳ぐらいから家での相場がお仕事になって、時間は腐るほどできたというせいもあってか、おばさん的なお仕事(炊事、洗濯、掃除など)が役割化したせいで、発想もおばさん化したのだろうとも思う。でもこれも結局は自分以外の家族=妻とか子供とか親とか がいないと張り合いがないし面倒だからやる気がしないものであって、需要があるから生産が必要なわけであって、生産するから需要が生まれるというわけではないのだなあと思う。

 この5年は都会を離れたリゾート暮らしという生活スタイルの劇的変化が僕にはあったが、都会に残った家族もここに来て熱海で暮らすように変化してきている。別に強制したわけではないのだが、そのほうが快適で安全で暮らしやすいと思ったのだろう。熱海の観光客は2011年がボトムでそこからV字で回復して300万人を越えたらしいが、「近い、安い、短い」という近年の旅行の特徴が熱海を選んだという事なのだろう。2011年は震災で原発事故が起きた年で、日本の近代の没落が決定化した年でもあった。株価だけを見ても戦後に営々と作り上げた70年の全てを時価総額で吹き飛ばした年だったと言って良いだろう。1/20とか1/50になった資産価格は、まさに死屍累々の経済敗戦そのものであると思う。6000円ちかい高値から200円台まで売られた野村を見れば、どんな失敗が日本で起きたかという見当は馬鹿でもわかるのだろう。日本人の行動の全てがダメだったという立派な証拠であると思う。さて当面の経済はどうなんだろうか?株価が仮に未来を現すとするのなら、2015年のピークから1年で半分になった株価がゴロゴロしているあまり良い状態とは言えないのが現在なのだろう。ここから仮に底練りに入るのなら、さらに数年(3-4年)は安値の往来の底練りになっても不思議は無いのが月足グラフのうねり方だろうと思う。だから当面僕は買い推奨はしない。もう下がらないものが増えてはいるのだが、「下がらない」ことは上がるという事と同義ではないのだ。いずれ上がる事もあるんだろうが、それまでに時間がかかりすぎるなら買い持ちするのはカッタルイ。

相場なんてしないで、現金を使って楽しく遊んだり暮らしたりするほうが快適だろうと思うからだ。経験から思うことだが、「大きな上昇相場」というのは、決定的な下落相場を経過してからしか生まれないんだろうと思う。投げが出て、死人が大量に出て、どうしようもないほどの安値を叩かないと反転上昇のエネルギーは畜積されないからだ。それにはまさに8年間上げてきたNYが徹底して売られる(僕はダウが半値に売られてもちっとも驚かないね)というような場面を見ないと底は入らないんじゃないのかと思う。前回の底では、オバマが倒産したGMを買った。それから8年で今度はクリントンがボスにきっとなるんだろうと思う。利上げが本格化すると逆金融相場がNYで始まると思う。

また夏が終わるね

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伊豆山花火

 夏が終わるなあと台風がいくつか過ぎるのを見ると思う。今年は2回目の熱海の夏だったが、函南と比べると暑さが少しおとなしいような気がする。函南は南向きのテラスだったので照り返しが強く室内にいても日焼けするぐらいだった。高度は700メートルだから、朝晩は温度が低くなるが日中は高くなって一日の温度差が大きい。一方熱海もリビングは西向きの10メートルがガラスエリアだが、高い山があるので日没が早く午後の暑い時間が函南より短いのが特徴だ。2-4時がピークでそれを過ぎるとすぐに温度が下がりはじめる。
冬は暖かく、夏は涼しいという快適なリゾートホテルのような室温がほぼ1年を通じて快適な状態だと思う。移転して環境的にはすごく良くなったという感じがする。都市ガス(熱海ガス)があるので、暖房はガスファンヒーターがすごく有効で暖かい。エアコンと併用すると急速に温度を上げられるので冬は暖かい。

広くなった、静かになった、過ごしやすくなった、豪華になった、近くなった、便利になったと良い事だらけという事は、きっと金の効用が少しはあったという事なんだろう。東証一部上場企業の社長さんの別荘暮らしというのはこういうレベルなのだというのを体感できた1年だった。
 温泉の種類も変化した。函南は単純アルカリ泉だったが、熱海の桃山はナトリウムカルシウムアルカリ泉で、苦塩っぱい味がする。傷があると少し染みる感じだ。効用ははやり熱海のほうが強烈な即効性があるように思う。来客の爆睡度を見ると熱海のほうが強いように思う。どちらも沸かし湯で入るのだが、浴槽の大きさは熱海の容積は2.5倍ぐらいあるので、その影響も大きいと思う。ゆっくりと広い浴室と浴槽で入るというのは効果的なのは言うまでもないからだ。

 熱海に来ると、祭りと花火と花見が日常化した。やはり観光地ということでお土産屋さんを中心に店舗が多いから便利なはずなんだが、僕はあまり外食もしないし買い物も食品と日用品以外はあまり買わないから大差はないようにも思う。
 もうモノを買う事が別段嬉しくも楽しくもないのだろう。都会にいるときは、伊勢丹にいけば金の具体的な使い道がたくさんあったように思うのだが、環境が変わってそんな物質的な供給経路が無くなると欲望そのものもぐっと減少するか無くなるかしてしまう。ネットで海外サイトから数回買ったけれども習慣化するほどの頻度でもない。やはり人は現物を見ないとなかなか具体的な購買に直結することは多くないということかもしれない。毎日がリゾート暮らしだから、どこかに旅行に行こうという気もあまり起きないのだ。温泉好きだから温泉に行くのは好きだが、熱海より良い湯というとそうそう多くはないのだから限られる。2年前に信州に行ったきり、京都以外は行っていないなあと思う。海外は危険だしマダムが行きたがらないのでもういつ行ったのか忘れてしまったほどだ。このま
ま枯れちゃうのかなあとも思うね。

猫のプチブルボヘミアンライフ  秋の編

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THANKS ON THE TABLEというカフェ

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インテリアもソファーがあってオシャレ

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スゲー味噌ラーメンのバリュエーション

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北海道炙りチャーシュー麺
3枚も7ミリ厚の肉が入り、ポテトフライが2切れ入っている。

ポテトの入ったラーメンを生まれて初めて喰ったがなかなかイケル。

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昨夜はカレーパーティー
なんの事は無い、月足更新時は3-4時間かけてカレーを作る。今回は骨付きチキンでチキンと豆と夏野菜のカレーを5人で食べた。


起床 午前5時50分

   コーヒーを落として、残りの月足を仕上げる

朝食 マダムが起きてきたので何か作る
   持ち麦ゴハンが残っていたので、朝からジャコチャーハンとスーラータンスープ

送迎 11時20分のこだまの乗るので熱海駅まで送迎

風呂  なんか疲れたので、グラフが終わったので朝風呂にゆっくり入る

昼寝  12時から15時過ぎまで猫とお昼寝

場帳  2時間かけてゆっくりと書く。月足2-6本戻りで戻り高値でお辞儀が始まったね、きっと。


腹がへったので、土曜日に買った midi a midiのパンを齧る。こんなパンを買うのに往復100キロぐらいは平気で走るのだが、田舎のプチブルの暮らしはそんな無駄ばがりだね。
無意味に、非効率に、不経済に、ボヘミアンな少し贅沢な時間と生活が猫の老後のスタイルなんだが、まあこんなんでゆっくり生きるので良いかねと自己満足をしている。猫は勝手気ままなのね。
それでも月初はすることが一応あるから、身体が少し疲れるし、目も酷使するけれど、これが出来ないようになったら、きっぱり相場は辞めるんだろう。もう働く必要も、金もイラナイし、それで誰も困らないから、、。


土曜日はグラフの更新に飽きたから、辻堂の湘南Tサイトまで本を買いに行った。THANKS ON THE TABLEというカフェでお茶を飲んで、本を3冊買って、帰りに味噌蔵のある味噌ラーメン専門店に寄った。半年前から気になっていたのだが、決意をして夕飯の一番に入った。およそ30台分はある広い駐車場だ。こういう時はプリウスとか小ベンツのほうが恥ずかしく無い気がするが、まあ仕方が無い。ベントレーやロールスだと入りにくいだろうが最近はメルセデスは輸入車販売数が一番多いので抵抗は無くなってきただろうと思う。
 メニューが凄い!信州、北海道、九州と味噌が3種類もあるが、塩や醤油は無いのだ。参考までにメニューの一部を上げるが、僕は北海道炙りチャーシュー麺をオーダー。マダムは信州ネギ味噌をオーダー。両方ともイケル!9月の熱い時に旨いんだから、これが冬の2月だともっと有り難いんだろうと思う。なにせ千葉県出身の社長らしいが、発酵食品=味噌に惚れこんで、ラーメンチェーンを始めたと書いてあった。好きな事を自分の仕事に出来る男は(女も)実に幸福な人生を送ると思うが、彼もその一人だろうと一口喰ったら感じた。商売に卑屈さが無いのである。労働と仕事の差異というのはそういう本質の差なんだろうと僕は思うね。

熊本県の農家から無農薬野菜の地場野菜のセットを買った。2000円で山盛りで初めて食べるような野菜がてんこ盛り。便利な世の中になったねえと思う。三島野菜もブランド化に成功しているようだし、野菜の高級品を喰うのは楽しい。これも自分で料理を習って作るようになったせいだろう。興味の対象が50歳ぐらいから僕は大きく変わったと思う。金より暇と味わいだね。

秋のナイトウォーク

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サンビーチから見た熱海城

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建設中の熱海駅ビル ラスカ

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3冊買った新書と文庫

 8月は熱いので散歩をしばらくサボっていた。夜でも気温が25度を越えると登山に近い急登を短時間で登るのはつらい。斜度が15-20度もある坂が熱海は多いのだ。だからトルクの無い車は上がらないで困るのね。
さて昨夜は場帳を終えて食事をしてから、散歩に出た。スコーレから医王寺の墓の脇道を抜けて大観荘という横山大観が常宿にしていた古い宿の前を通り、新幹線の咲見町の高架下を潜って135号まで下る。この間15分ぐらいだ。そこから市役所まで下がって熱海銀座経由でサンビーチという海岸までで4キロ弱で50分ぐらいで着く。ここで休憩していると、ポケモンゴーをやっている人がかなりいるようだ。9月に入ってからは家族連れの観光客は激減しているし、ヨットハーバーの前のベンチも半分くらいは空いている。8月は10時過ぎまで人で一杯で花火をする観光客で賑わっていたから、はやり9月になると海の人出は減るのだろうと思う。サンビーチからお宮の松を経由して、国際医療福祉大学病院まで上がって、そこから熱海駅方面に左折する。熱海駅前は9時頃だがまだかなり人がいた。
 現在、新しい駅ビルのラスカの建設中で11月にオープンするらしい。3階建ての大きなショッピングビルになるそうだが、坪家賃が6-7万もする高額家賃で、さて採算が取れるのかと地元の人は疑っているらしい。成城石井というスーパーが出るという事だ。

 ナイトウォークをするのは肥満対策と老化とボケ対策で、生まれて初めて今年は入院して以来、体力的な衰えが顕著でこのままではダメだなあと感じたせいだ。活動的でなくなると本ばかり読んで頭でっかちになるという悪い癖が僕には昔からあるからなるべく意味なくでも外出するほうが宜しいという事は理解しているのだが、ついつい面倒で本を読んでいるのが好きなのだ。昨夜は5.8キロ、35階、8472歩を歩いた事になっている。I-PHONEはヘルスケアデータというアプリがオマケで付いているので、万歩計のようなものだろうと思う。高度とか緯度とか位置もGPSで正確に探知するから、山登りなどにはすごく便利で安全だと思う。自分がどこにいるのか?というのを地図上で確認できるという事は知らない場所での判断ミスが激減する筈で、事故や遭難が減るだろうと思う。

僕はナイトウオークをする時は、
1 ヘッドランプ 
2 反射版のついた衣料
3 リュックサックと登山靴
4 登山用ステッキと1Lの水筒

を必ず持つようにしている。あとは携帯とサイフという所。転んで怪我をするのは、見えないから、手が空いていないから、靴が滑るからだろうと思うので、夜は車から認知されるような格好で歩行する。ヘッドライトは威力十分で単4電池3本で6時間は保つからスペアも持っている。全部高級品で揃えてもきっと10万もしないだろうが、それで健康を買えるとすれば随分と安上がりだねえと思う。6キロの2時間歩行で(上りは時間が2倍かかる、標高差が300メートルあるから)1Lの水筒はカラになるし、筋肉痛が翌日は少し出る。温い温泉とシャワーにどぶんと入ると、これ以上の快楽というのはきっと無いだろうというぐらいに気持ちが良いのね。

 土曜日に「脳が壊れた」という鈴木大介さんの闘病記を買った。41歳で脳梗塞になった人の闘病のドキュメントだが、人事ではないのだね。僕の周囲にもくも膜下や脳梗塞、心筋梗塞などの人が年下でも複数いるし、みんな深刻な後遺症を持っている人が大半だ。それが突然やってくるというか、ジワジワ進行していて、一気に発病するということだと思う。健康寿命は男は70歳だとうからあと9年ある。それまで元気に遊んでコロッと死にたいねえと思うのでちゃんと運動の努力はしようと思う。おかげで飯は旨いし、風呂が楽しい!こういう楽しみってまったく金がかからんのね。(爆)徒歩で現在日本一周をしている凄い人が僕のブログを見たらしい。4万キロも歩いたということは地球を1周しているという事だが、世の中には凄い人がいるんだねと思う。同じような年齢だから、60歳でも人間の可能性は凄いねと感じたね。

終わらない僕の夏休み

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猫とベッドで

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2本戻りは売りの急所?

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熊本の地場野菜セットを買った  2000円で山盛り

 僕の夏休みが終わらない。8月の月足更新を5日間で終了したら少し疲れたのでまたお休みモードに突入して、ずっと一週間もダラダラ本ばかり読んでいる。
 大体夜は12時過ぎに寝て朝は5時過ぎぐらいに自然に目が覚める。猫が起こしにくる事もあるし、猫のほうが寝過ごすこともある。きっと空腹の状態なんだろうが、夏だから食欲は弱く今年の夏は点滴を6本も打ったので持ち直したぐらいだ。
猫はソファーかベッドかダイニングの椅子に寝ている事が多いが、たまに拗ねるとグラフ専用ラックの7000番台の区画に入って寝ている。奥に入ると見えにくいので行方不明になったような気がするし、呼んでもわざと出てこないでシカとしているケースもある。この点が犬と猫の決定的な差異だろうと思う。先週は友人夫妻とシンゴジラを三島のシネコンで見た。迫力があったねと思う。最近はなんでもそうだが元気で利口なネーチャンが出てきて男を食うというシーンが必ずあるのは何でだろう?男の馬鹿さ加減をいちいち場面で確認しないと女子の客が来ないという事なのか?石原さとみの英語ってそういう事なの?この種のバイリン女子の友人はいるけれども、男のお世話を焼くのは上手だと思う。丁寧だし、礼儀正しくてどっちかというと運動部的なオスという感じ。頼もしい!!

 朝5時に起きて、ゆっくりと温い温泉に20分ぐらいは浸かるのが習慣化している。湯に身体がなじんで段々と目が覚めてくるが、汗をかきながら山と空をぼんやりと眺めていると人間をやっている事自体が随分と馬鹿らしい事ばかりだなあとも思えてくる。都市生活は生産のために実行されることが大半だけれども、そんなにあくせく働いても人間一人の出来る事なんてたかが知れているのがわかり切っているのだから無駄な気がする。そんな事をするのが好きでないのなら、田舎に引っ込んでゆっくりと穀潰しのような暮らしをチンタラしているほうが楽で宜しいなと思う。風呂から上がったら日曜日にはテレビなどをつけて5日分の折れ線を更新なんてするのだが、朝早くの番組は、日本百名山とか田舎暮らしの番組なんかが多くて、こちらもゆっくりとしていて金には関係ないような暮らしぶりだ。世界はそういう所に関心の大半が向かっているという事だろうし、テレビという大衆性を担保にしたエンタメの特性上、都市回避、辺境探訪のようなトレンドがきっと有意義だとかんじる人が増加しているという事だねと思う。モノから事へと消費のトレンドに変化が大きく起きているという事だろうと思う。

 先週は開高健と日野啓三を読んだ。開高は59歳、日野は77歳で没したが二人とも芥川賞を取ってベトナムに戦争取材に行った人である。そうすごくディープなベトナム戦争のルポと小説を書いている。開高の「輝ける闇」は名作だと思う。サントリーのコピーライターをやった開高と、読売新聞特派員をやった日野は作風は180度も異なるが、両方とも優れた作家だなあと感じる。

 古い話だが、2007年の10月にNYは天井して崩れた。東京は6月だから4ヶ月早かったと思う。ジャンボジェット機の後輪のように離陸は遅く着陸は早くというのが両者の時間的な関係性にあるようだが今回もまた多分同様だろうと思う。仮に今年の8月がNYの天井だったとしたら東京はトピで1年、225で14ヶ月先行していた事になる。さて2年もしたらわかるんだろう。崩れたか崩れそうな月足は確かに増えているから2本戻りは毎度の売りの急所かねえ?

労働嫌い

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産直葡萄

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シャインマスカットとピオーネ


ダイヤランドのべラビスタに行った。友人が山梨の農家から葡萄を箱買いしたので取りに来いというので、久しぶりの函南だ。もう1年以上引っ越ししてから経つのだが、少し住民数が増えたという事でダイヤランド自体も温泉が不足したらしく新しく井戸を掘ったらしい。500メートルも掘るとすぐに出るらしいから、さすがに冨士箱根火山帯は凄いねえと思うが、温度は低い(摂氏37-8度)らしい。その点は熱海は80度ぐらいの高温泉が多いので、水脈が全く異なるという事なのだろう。
 まだ紫陽花が咲いているというのはどうした事なんだろうと思うが、ダイヤランドは花ランドというぐらい緑は豊かだから住民も植物好きが多いと思う。綺麗な庭を作っている人もたくさんいる。

 ズルいかどうかは別として、昔から働かないでも生きていけるような富裕層というのはある程度の比率(数%ぐらい?)でいたのはいた。民主制以前には武士や地主とか貴族とか搾取する人たちが「身分」として存在していたし、文化というような高尚なものは元来そういう有産階級の専有物だったのだから、高級という事はある意味「働かない人たち」を指す言葉である。逆説的に考えるとどんなにお金が稼げても「働かなくては生きていけない人たち」とは高級では無いという事でもあるんだろうと言える。
だからという訳もあってか、僕はなるべく働くという事を忌避してきたように思うし、今後も労働に大きな価値なんてちっとも認めないんだろうと思う。イデオローグとしては左派なんだが、それは分配論として貧乏な人たちに同情しているせいでもある。それぐらい貧しい人たちというのは悲惨な暮らしをしているらしいし、どうしてそうなってしまうのだろうか僕には想像がつかないが、わからないものは所詮わからないし、別段わかりたいとも思わない。パンが無いのならケーキを食べたら良いじゃないと言ったアントワネットがあの自体の高級の代名詞だったのだろうし、そういう人も比率は別として社会には必要なんじゃないのかと思う。みんなが同じである必要なんて無いし、同じでは楽しくも嬉しくもないだろうからだ。

6103     764    -1 と買い戻して
6101     542    1-と 売り直しでクルクルした。

都合2.3万(2日間だ)の利食いでまた戻れば売る。6135、6101、6103の3つを交互にクルクルとするだけだ。これは多分労働ではないんだろうが、少しは金になる。

4キロのシャインマスカットとピオーネを買うときっとキロ1800円ぐらいだから7000-8000円なんだろうと思う。金を払おうとしても相手は受け取らない。しかたないので6101を明日のアサイチで売れと言っておいた。4年前から場帳を書き始めた人だが、中古車販売店の社長さんだ。儲かると良いねと思う。

奥の細道 猫次郎編

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朝焼け直前の平泉付近の東北道  芭蕉から300年経過した奥の細道

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いなだ珈琲舎の朝のメニュー  900円

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お買い上げのA6アバント 4.2   2005年で5.2万キロ
350HP最高速250キロはあっとう間で出ますねえ。170万込み込みでバーゲンですね。1000万の車も消却済みだと安いです。新品のホイルとタイヤ(ポテンザ)で50万ですので、車検取って170万の乗り出しは良い買い物だと思います。やはり日本はデフレなんだと思うなあ、、。

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これが噂のA5の前沢牛の牛タンです。1個1800円。旨いっす!

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還暦になってもヤバい爺さんっているんだね。(爆))

世の中は明日から秋の3連休になるらしい。なによりこの連休には熱海でまた秋の花火大会というのがあって連休最後の夜に海岸でまたお祭り騒ぎになるんだろうと思う。今月は義母のお引っ越しとかマダムのお引っ越しの準備とか、いろいろ家族でも移動の動きがあったが、僕は7月からの長期の夏期休暇がまだ続いているので、いったいいつになったらお休みが空けて仕事モードがくるのか見当もつかない。
 元来、労働嫌いだし、その理由から35年ほど以前には初代の労組委員長に就任した経緯もあってか、ちっとも働くという事を大事な事だとは考えないタイプだから、しないですんでしまうような事はなるべくしたくないし、時間があると楽しい事ばかりをしてしまう能天気なほうなんだろうと思う。
という性格も災いして水曜日の深夜から翌朝にかけておよそ700キロを7.5時間ほどで走破したことになる。〇泊二日で熱海から首都高経由で岩手県の盛岡まで往復してきたことになる。都合1400キロを16時間、平均燃費10.8キロ、平均時速87キロ(下道がおよそ40キロほどか)グランドツーリングは久しぶりで、相棒のH君と交代で走った。
  AUDI A6 アヴァントというのは実に良い車であったので、その場で試乗して即購入を決定してしまったが、ツインカムV8  4200cc   350HPのA8用のエンジンをクワトロで動かすそれはターボ嫌いの僕にしては11年落ちと思え無いほどの素晴らしくシャープな加速で、100-200キロ加速は矢のように早いという感じで僕のCL550よりも早いかなと思うほどだ。ポテンザ20インチを履いているせいもあるだろうが、グリップは素晴らしい!シックなタンのミラノレザーは明るい室内で、黒いメルセデスよりもカジュアルな感じである。
昨年の5月にスコーレに引っ越ししてきた時に、メルセデスのEワゴンを息子にタダでくれてやったので、この1年ほどはずっと1台乗りをずっとしてきたが、どうもクーペ1台では不便である。義母が熱海で暮らし始めたし、なんやかやと3名以上の乗車機会が激増するとどうしても荷物とシートがワゴンの大きなものが欲しかったので、安くて高性能でカッコいいのを買うことにした。H君はどうせならベントレーにしろというのだが、いや贅沢は敵だから、次の機会にしようと思う。現在ベントレーの整備は東京のゴーンズ以外はしないので、熱海で買うと多分年の1/3-1/4は工場に入っているという事になるだろう。その点整備という面ではドイツ車は楽だから、地元でAUDIに強い整備業者を探しておいた。ミッションとエンジンの分解修理が出来るレベルの整備士がどうしても古い車を楽しく乗るには必要であると思う。

 盛岡の町に朝8時についた。食べログで早朝から開いているカフェを検索して当たり!自家焙煎のいなだ珈琲舎でクロックムッシュとブレンドを頂く。お昼は食べログNO2の焼き肉冷麺大同苑本店でA5の牛タンを注文した。100グラム3万円の超高級肉だが1切れ1500円で2.5センチの厚みである。二人で腹一杯肉を食べてもたったの1万ちょっとだから、1400キロを爆走する甲斐があるというものである。
お土産にモモとぶどうを箱で買ったり、書けないような速度で東北道を走ったりで楽しいグランドツーリングとなった。やはり金持ちは貧乏人よりも随分と楽しい暮らしが出来るから資本主義もまだまだ猫には捨てたもんじゃ無いねえとは思う。

結婚生活の答えは敬老の日

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椿と菫

50代男性のための雑誌に書いた結婚論

『困難な結婚』についてインタビューがあった。50代男性のための媒体で、「そういう人たちにアドバイスを」というリクエストだったので、「発想を切り替えないとこの先は生き延びられませんよ」ということを書いた。ちょっと口ぶりがきつ過ぎたかも知れないけれど、インタビューに来た編集者たち(全員女性)は深く頷いていた。
雑誌に書いたものをすこし添削したものをここに掲載しておく。


そもそも結婚は、幸せになるためにしているのではありません。夫婦という最小の社会組織を通じた「リスクヘッジ」であり、安全保障の仕組みなのです。病気になったり失業したり、思いがけない事態になったときに、1人では一気に生活の危機に追い詰められますが、2人なら何とか生き延びられる。お互いがサポートできる。それが結婚の第一の意味です。

かつては、地域社会や血縁集団が確立していて、その中で夫婦という単位が機能していました。普段は不満の多い夫婦でも、夫が親族のややこしい話を丸く収めたり、妻が地域のもめ事で絶妙な差配をしたり、夫婦がチームとして成熟する機会がありました。そうやって、異性愛とは別のレベルに「バディ」としての信頼感が育まれたのです。
今の50代が不幸なのは、地域や血縁システムが崩れ、夫婦単位で行動して、「バディ」の見識や力量を目の当たりにする機会がほとんどなくなってしまったことです。それでも、自営業の夫婦でしたら、「連れ合いがいてくれて助かる」という実感が日々得られるでしょうけれど、勤めに出ていると、配偶者は支援者というよりはむしろしばしば「自己実現の妨害者」として登場してきます。お互いをしみじみ頼りになるパートナーだなと感じることが日常生活のなかではなかなか経験できません。

かつては定年まで働き、満額の退職金をもらうのが当たり前でしたが、今は人件費削減のために、役職定年がどんどん前倒しされています。大手でも大半が55歳で事実上リタイアし、先には昇進もない、責任ある仕事もないというきつい立場に追い込まれています。先行世代のキャリアパスが全く参考にならない雇用環境に投じられている。「不機嫌なおじさん」が激増しているのは、たぶんにそのせいなんでしょう。
でも、それは彼らの属人的な資質ではなく、あくまで制度の問題なんです。この間まで「部長!」とか呼ばれていた人が目下の人間に軽く扱われるようになった男の屈託を配偶者は理解してあげてほしいですね。気の毒な立場なんですから。

夫婦の問題については、愛が足りないとか気配りがないとか、あるべき夫婦に比べてうちは・・・というような「ファンタジー」を語っている余裕はもうありません。今すぐに備えるべきは、75歳以降の老年期の貧困問題です。
おそらく今の50代の相当数は70代にはシビアな貧困問題に直面することになると思います。年金制度は崩壊しているでしょうし、健康保険料も介護保険料もはるか高負担になっているはずです。株を持っていても世界経済の先行きは不透明ですし、銀行に預けても利子はゼロ。人口減少によって、都心を除けば不動産の値崩れは不可避です。
社会の変化の最大のファクターは人口減です。今から15年で人口は1000万人減ると予想されています。鳥取県が年に1つずつ消える勢いでの人口減です。短期間に社会制度が土台から変わってしまう。根本的に変わってしまうんです。それは確かなのに、まだ「成長戦略は」とかいうような世迷い言を口走っている。現役の50代の多くは、「そんなことは知りたくない」とばかりに耳をふさいでしまっています。人口減、それによる市場のシュリンクという平明な統計的事実さえ直視しようとしない。

こう言ってよければ、彼らには不安はあるけれど危機感がない。
右肩上がりの時代に育ち、バブル期に就職し、上に従い、体制に順応することで出世してきたせいで、その成功体験に居着いて、そこから出られない。でも、危機感を持たない人間はリスクヘッジを考えない。そこが問題です。
ヒッチコックの映画『サイコ』に「金で幸福は買えないが、金で不幸は追い払える」というセリフがあります。家庭内で「お金がない」というのは、あれば回避できたトラブルに日常的に悩まされるということです。お金がないことから始まるトラブルの深刻さは家事分担でもめるのとは比較になりません。
ですから、老境の後退戦に備えるのが急務です。一番大事なことは配偶者との相互支援体制を確かなものにすることです。まずは現実認識を共有する。それぞれ職場の雇用状況や業界の今後などについて積極的に情報を開示し、配偶者はそれに耳を傾ける。その上で「何とかせねば」「何ができるか」を考える。お互いの社会的機能を見て、どう分業していくかを考える。
第二に、先行世代を参考にしたキャリアパスからの発想の転換を図ること。例えば、転職ではなく転業の可能性を検討する。都会ではいくら職探しをしても、加齢とともに賃金水準は下がり、それにつれて生活の質も下がらざるを得ない。縮小再生産のスパイラルに入ってしまう。
でも、人手が欲しい地方では、いま自治体がいろいろな移住支援策を実施しています。都会にいても前職とは比較にもならないような待遇の仕事しかないということであれば、いっそ体が動くうちに頭を切り替えて、Iターン、Uターンを選択をするという人はこれから増えてゆくと思います。
超高齢化のせいで、職業上の空白があちこちにできつつある。転業のチャンスは探せばたくさんあります。
生き延びるために一番大切なのは、ネットワークです。都会から帰農した若者たちに聞くと、日々の生活必需品はほとんど物々交換やサービス交換で手に入るそうです。市場経済と直接にはリンクしていないから、不況になろうと株が乱高下しようと、生活の質は急激には変わらない。生活の安定を考えるなら、地域共同体や親族共同体の相互扶助ネットワークをしっかり構築するのはありうる選択肢の一つだと思います。
とにかく性別も年齢も、社会的ポジションも違う人と連携するネットワークを形成すること。メンバーが多様である、ニッチを異にしていること、得意技がそれぞれ違うことは安全保障の基本中の基本です。階層や職業が同質的な人々とだけの集団には危機耐性がありません。
生き延びるために必要なもう1つは、いかに愉快に、機嫌よく生き延びるか、です。不機嫌では想像力も知性も働きません。
悲観的にならない、怒らない、恨まない。そういうネガティブな心の動きはすべて判断力を狂わせます。危機的状況下では判断力の正確さが命です。にこにこ機嫌よくしていないと危機は生き延びられません。眉根に皺寄せて、世を呪ったり、人の悪口を言ったりしながら下した決断はすべて間違います。すべて。ほんとにそうなんです。不機嫌なとき、悲しいとき、怒っているときには絶対に重大な決断を下してはいけない。これは先賢のたいせつな教えです。
まずは配偶者との関係を穏やかで健全に保つこと。そのためには、自分が機嫌よくしていることが必須です。「バディ」として選んだその人と、夫婦というチームを成熟させ、安全保障を堅固にする。貧しくても、物心の不如意があっても、とりあえず「何とかなるよ」とにこにこ笑っていられるような、「機嫌のよい夫婦」にしか「夫婦が機嫌よく暮らす未来」は築けないと思います。ご健闘を祈ります。 

                                                                                 内田 樹の研究室より転載=================================
相変らず仕事のし過ぎの内田節の爆裂で、家から出ない知の伝道師は本を今年もたくさん書いている。内田さんは最初の結婚に失敗して、娘を自分一人で育てた大学教授である。全共闘の闘志として活躍してから東大を出て、学生革命運動をしていたから企業に就職なんて出来ないと思って、友人と翻訳会社をやって当てて(アーバントランスレーションを平川さんとやった)、それから大学院に行ったのだろう。神戸の女子大に拾われて仏文の教師になったマジめな合気道の武道家である。
 自分の信じた好きな事、得意な事を仕事に出来た人は本当に幸福な人生を送れると僕は思う。たとえそれが経済的に恵まれた結果にならなくても、好きな事で生きて行くというのは毎日が気持ちが豊だから、お金の有る無しなんて気にならないんだと思うし、事実金が気になるぐらいだとしたらきっとそれはそんな好きな仕事でもないんだろう。好きこそものの上手なれということわざがあるが、好きな事は誰もが人一倍熱心にやるのが普通だから自然に上達が早まって、ますます好きになるという好循環が起きるから、「天職」に自然になっていくのだろう。

 結婚についての彼の意見は実に現実的で身も蓋もないと僕は思うね。多分、現在の50代の夫婦は金銭と時間と気持ちのゆとりが全く無い人が大半で、そういう人はファンタジーを語る余裕が無いという現実に押しつぶされているということだろう。しかしだからこそファンタジーを語る必要があるんじゃないのかね?と僕は反論したいと思う。そのファンタジーの核心に存在するものは、間違いなく新しい生命という事になる。すべての生物はそれが誕生と生存の動機だからだ。
世の中がああなる、こうなるという雑多な情報があって、仮にその大半が悲観的な情報だとしても、それを自分で消化して乗り越えていくというのが具体的な個人の生活という事だろう。それは10代だって80代だって同じ事だ。だから自分の出来る範囲で活躍するという事が大切で、その活躍のやり方の技術と水準というのが個性と能力という事だろう。
内田さんはリーマンが長かったからか、定年後には悲観的意見だが、それは年金とかぶら下がりを前提に発想してしまうからであろうし、合気道塾は持ち出しだろうから、彼は本の印税で喰って行くという事なのだろうと思う。
景気が悪くなって、人口が激減して、消費が縮減して、日本が沈んでいくのなら、そういう沈んで行く環境で何が最適な選択かという新たな前提で思考してみる必要があるんだろうが、未だに「成長」とか「発展」とか有りもしない大きな物語を狙うから大失敗が続くという事なんだろうと僕は思う。「世の中はお先真っ暗だけど、オレだけはウハウハ」という前景を担保するにはどうするのか?共食いとか鴨を喰うとか、生存競争が激化するところに群れ全体を放り込むというような戦略が必要ではないか?というのが常識的な思考だろうともう20年も前から僕は感じているから、こんなブログをずっと書いているわけだ。
「あいつが出来るのならオレも出来るだろう」という思う人が増える事を祈っている。そう君なら出来るかもしれない.(爆)

敬老の日というのがあるらしい。今年は9/19 月曜日だそうだ。孫からそんな爺さんにお祝いが届いた。満面の笑顔の女子2名である。椿(姉)と菫(妹)のパッツン姉妹で、女系家族がまた続く。
「爺ちゃん、金くれ!」そう笑っているようにも僕には見えるが、、、。あと10年か20年したら鹿島田真希のような女子になるんだろうね、末恐ろしいなあ、、。

生き残る人とそれ以外

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ケツはこんな感じ

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ツラは地味

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標高300メートルのケアハウス  津波見物が出来ます


 広域防災に関しての討論会を国営放送でやっていた。首都圏の大型河川の一つが(荒川とか利根川とかだろう)たったの1カ所でも堤防が決壊すると、東日本大震災以上の大規模被害(水死の発生だろう)が確実に起きるというショッキングな予想だった。東京のゼロメートル地帯に住んでいる人(葛飾、荒川、北区など)のほぼ全員が逃げ遅れて水死するという事である。名古屋なんてもっと地盤が低くて酷いからトヨタ関連なんて全部水没だろうねと思う。
 群馬大学の防災専門の教授が「広域に逃げる手段が誰にも無い」ということで、台風とか地震、大雨、高潮、津波など100年に1回とか500年に1回というようなスケールの災害に東京という街は耐えられないそうである。5年前の地震で「なんとなくヤバイよ」という強い危機意識が僕にはあって、もっと安全でお気楽で楽しい場所=函南、熱海 という選択をしたのは合理的な選択だったんだなあといつもながら「良いカンカク」を常に僕はしているなあと自慢しているのだ。同じように感じても、多くの人(98%ぐらい)は行動出来ないで手遅れになる。経験上僕の周囲で成功できない人の主因はこの行動特性の遅延にあると僕は思うね。知っていても行動できないマヌケと馬鹿ばかりという事だ。

 猫とその家族はさっさと熱海に避難して、残りの人も高台の安全な地区の安全な高度(マンションの3階以上とか)に逃げているので、寝ている間にそれが起きてもすぐには死なないねとは思うが、堤防決壊で数日で30万人が水死するとすれば「東京は一旦は売りもち」だねと僕は思う。災害が起こりそうな前にじりじりと下げて(他の市場 NY、ロンドンが上がってもだ)、事件事故が起きてからは暴落でしばらく市場が閉鎖になるんだろうと思う。兜町も低い場所だから冠水したら市場再開は当面絶望的だねと思う。代わりにシカゴの先物が徹底して売られるということが当然起きる。上場企業も倒産多発で日本経済はしばらく心肺停止ということに数ヶ月から数年はなるんじゃないのと僕は思う。225か16000円くらいから3000円ぐらいまで暴落して強気の全員が破産する。日本の戦後資本主義が完全破壊されて「そして強気が誰もいなくなった」というようなことが東京で起きるかもしれない。そこからは買いにドテンだねとも思う。
水害、地震、原発事故、津波という複合大災害で日本の主要都市がゼロになる。すると膨大な復興需要が当然起きるだろう?大相場が仮に今後の日本で起きるならそういうシナリオが一番妥当性が高いんじゃないのかなあと思うのね。だからその手前は暴落がないとつまんないでしょう?そう僕は思うんだが、悪魔の声ですねえこれ。


 死んだらいくら金があっても意味が無いけれど、生き残った人には金がいる。住居、衣料、食料、移動手段、商売道具とみんな金がかかるのだから、それには他人様を出汁にしても稼ぐ以外にはないのだから、「空売り長っパリ」というのが当面は良いんじゃないのかとも思う。(当たらんでも知らんよ、無論)
事件事故の発生当時は緊急的に通貨は使用価値が多分ないから、現物の有る無しが決定因である。食料、医薬、水、エネルギーなど切実だ。回復までの数週間分の蓄積がモノをいうだろう。買いだめする事だね。
今回車を増車したのは、1台400-500キロ走れるとして2台なら延べ1000キロの航続が可能だと思ったせいもある。荷物が積めて車高が10センチ上げられて4WDでオフロードもそれなりに走れる能力ということである。1台で90リットルのガソリンだ。2台で180リットル。補助ガソリンタンクも数個買おうかと思っている。20L入りの携行タイプで2000-3000円で売っている。40Lなら300キロぐらいは走れると思うし、ガソリンで発電する発電機にも使える。防災では電気の有る無し、水の有る無し、移動手段の有る無しが決定因になるから、買っておくというのが大事で使わないで無駄になるほど良かったという事なのだ。これを使用する事態が起きたという時点で、日本はもうダメという事である。

 内田先生も書いているけれども、起こりうる事態を楽観視しないでシビアに考えて具体的な対処をすぐにする。
多くの滅びる人は住む場所とする仕事の質をゼロベースで変え直してみるぐらいの柔軟性がないから生き残る筈が無い。非連続的な明日を考えるような発想と知性の地平が広い人しか結局は残れていないというのが進化論の結論だろうと思う。その基礎になるのは個人のカンカクという他に言いようが無いと思うのだ。
明日と今日の連続性が無くなる世界を想像してみると良いね。つまりドテンが出来るかどうかということ、逆張りが常に出来るという事が生き残りの鍵なんだから、そういう楽しい暮らしをしたら宜しいと思う。

経済的だと言って軽自動車を買うような人は、必ず高速を逆走して事故る。2000万する外車に乗って逆走するようなケースを僕は一度も知らない。何故か良く考えてみよ?と思わんかねえ。馬鹿ではそういう車を買えないからである。

幸福なブリコラージュ

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浜田とクルーグマンはマジに馬鹿?(笑)

 近代合理性が限界に近づいてもうどうにもならなくなってきている証拠が日本や世界のいたる所で起きている。エンジニアリングの限界という事だろうと僕は思う。それは例えば車とか建築物とか償却が税法上必要な資産価格と用途性の矛盾として現在日本のいたる所で発現しているある種のチャンスだと僕は思うが、そう考える人は実に稀だなと思う。既存秩序の体系の中で生きているとそいう感覚的な事がわからなくなるのかもしれないという仮説を僕は持っているのだ。
原発の失敗とか、9.11のテロとか、リーマンショックによる金融恐慌とか、合理的であるはずの資本主義がちっとも合理的に作動しない状態が実際に頻発している。繰り返し人間はこうやって失敗を続けてそのうちに絶滅するのだろうか?近代技術の知のあり方とは別に、クローズド レビー ストロースは ブリコラージュという概念を提唱した。
 フランス文化人類学者・クロード・レヴィ=ストロースは、著書野生の思考』(1962)などで、世界各地に見られる、端切れや余り物を使って、その本来の用途とは関係なく、当面の必要性に役立つ道具を作ることを紹介し、「ブリコラージュ」と呼んだ。彼は人類が古くから持っていた知のあり方、「野生の思考」をブリコラージュによるものづくりに例え、これを近代以降のエンジニアリングの思考、「栽培された思考」と対比させ、ブリコラージュを近代社会にも適用されている普遍的な知のあり方と考えた。

 例えば省エネルギーという発想があって、自動車では電気とかリーンバーンとか燃焼効率を上げてco2の発生を抑える技術が盛んだけれども、原油価格が低下したらエコカーの人気はすぐに低下してしまって、大排気量の車がアメリカを中心に売れているのが現実だ。だれもつまらない車には乗りたく無いという人間の非合理性を考慮していないから変な方向に商品開発が進んで失敗をするという事が事実起きているのだろうと思う。サウジアラビアのガソリンの店頭価格は現在1L22円ぐらいだから、車両価格との対比でガソリンの値段が大きな差異になるとは到底思えないほどである。3000万のランボルギーニの満タン価格が2000円である。これが3000円でも1万円でも豊かなユーザーにはきっと無意味な差異でしかないだろうと思う。ガソリン代なんて月に3万でも10万でもどうでも宜しい。高くなれば道が空いて高速がスカスカになれば時速200キロで走れるようになるんだから、料金で代金を決めても良いじゃないの?合理的でしょ?そうしたらS63AMGみたいな車が売れますよ。http://kakaku.com/kuruma/used/spec/Maker=26/Model=31028/Generation=40526/Sort=u3/
500万もしないで凄い中古が売ってます。プリウスと同じ値段で100倍は楽しいと思うなあ。楽しみのために金を使うようにするのがいわゆる資本主義の本義だろうと思うんだけど、誤解している人が多すぎるね。日本人ってマジ馬鹿じゃないのと思うのね。ガソリンけちって何が楽しいかね?アホちゃうかなあ。文明化とはエネルギーの絶対消費量を拡大化することですね!

 一方僕にとってのブリコラージュという発想は、現在この世の中に既にある不要品の在庫をどう工夫して再使用するか?という視点が主体となる価値観の再構築プロセスを言う.「エンジニアリングが製作したとする合理的な販売価格を真っ向勝負でコケにする」ブリコラージュという反工業思想の実現化を投機の利鞘で賄う野蛮な思想の実現だ。

エンジニアリングの起こした合理的な失敗(笑)を、不要な過剰在庫品で代替することによって現実的には新しい価値観の再構築を実現させてしまうほうがクールでカッコイイというトレンドである。ここでのポイントは、エンジニアリングの産み出す価格は原価に対する利益上乗せ価格であるが、ブリコラージュの価格は市場で値が付く最高価格であって原価や流通コストとは無関係に決まるという点が画期的だ。大半がエンジニアリング価格>ブリコラージュ価格という関係性にある。
 芥川賞を取ったハードカバーは新刊なら1800円だがブックオフだと100円に間もなくさがる。まあ図書館で借りるとタダであるが、、。10年前に2000万したメルセデスも10年で200万ぐらいに下がるが、別段相変わらず早いし快適で故障などほとんどしないし性能の劣化はほとんど見られない。むしろ機械的に慣れが出来て絶好調だったりするから不思議なものである。不動産などもそうで、地価に変化がないのなら建物は償却されるから当然減価して20年でほぼゼロになる。現実的な用途性はまた別で、僕の買ったスコーレなど築24年だが、使用時間は50日ほど(23年間でだ)だから電気と給湯以外はピカピカだった。2億が1000万で売っているという特売だからブリコラージュするとお得でクールだ。半分の面積の新築が現在8000万で売っているのだから、、。似たような便益をどれぐらいのコストで楽しむか?ということは対価の支払いの絶対値なのだから、働く必要性の臨界に激しく作用する。つまりのんべんだらりが僕のように好きならばブリコラージュこそクールな解決法である。


世界中の先進国では過剰に物が余っている状態である。これをデフレというのだ。だから生産を停止して全員が消費だけをすれば、やがて在庫が完売して不足し価格は上昇するだろう。上昇した価格で新規の生産品を販売すればモウケが増えるから賃金も上がる余地がある。だから必要な事とは、生産を停止して全員が猫のように(労働するのを辞めて)浪費することだけに専念すればよい。つまり猫のような暮らしをすれば誰でもウハウハお得だろうという事なのである。遊んでいて豊かになるのだからこんなに良い事は無いだろうと僕など思うのだが真似る人は皆無である。実に変なの?クールでお得な方法論なのにねと素朴に思う。

ユーミンを聴きながら、、、

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湯河原の南インドカレー    1500円


 今年6つ目の台風が上陸しそうだ。現在四国沖を東北東に向けて日本列島の太平洋岸に沿って東進しているので、今夜遅くとか明日の朝とか伊豆や関東に到達しそうな勢いだ。前回は天城山で12時間で400ミリの降雨量という事で、観測史上最大の雨だった。こんなに振ったら事故が起きないほうが奇跡だろうと思う。そんな規模で人間はインフラ整備をしていないからだ。
事故が起きるとみんな「想定外」っていうけど、そもそも人間のする想定ってそんなにお利口じゃないんだね。だから逃げるという当然の行為を無視して手遅れになる。自分を絶対安全と思っていたら人は何もしないだろうが、そうやって生死が別れて行くのだろうと思う。
 雨がすごく強いので、前回もそうだったが今後も継続的に何度も河川の反乱と土砂災害などが広範囲に起きる可能性が高いと思う。静岡県は昨夜は富士市に避難勧告が出ていたが土砂崩れの危険性だという。川沿いとか低い土地の人は高台の避難所に躊躇無く早めに避難をしておかないと増水してからでは手遅れになるのは岩手県の老人ホームの9名水死のニュースを見ても明らかだろう。

 自然と都市というのは実に難しい位置関係の問題だと思う。僕は養老孟司さんのファンだから、脳科学についての彼の知見に脱帽する。都市とは人間の脳が作った理想の時空間であるという。人間は自然を作り替えて自分たちの都合の良い理想的な快適時空間を作ろうとして都市を作ってきた。そこでは自然を徹底して排除して脳の中にある総ての理想を時空間に変える。電気を作ることで昼間の明るさを24時間に延長してしまったし、冷暖房を作ることで快適な温度と湿度の一定のしのぎやすい空間を作って四季を無くしてしまった。高い建物や地下に建物を作ることで、上下方向に生活空間を何倍、何十倍にも拡大した。電子技術を使用してバーチャルな市場を作り上げて、世界中の通貨や株価か金利を交換している。つまり脳の中で考えたことを全部都市という場所で具体的なモノに置き換えてそこで安全で快適で効率的な生活をしようとずっと数千年もかけて積み上げてきたという事だ。脳の中の幻想をいつの間にか実現化してしまう所が人間の欲望の凄いところであり、例えば車や飛行機や船というのは人間の足に替わり何十倍、何100倍の速度と距離を移動できる機械だし、パソコンや携帯電話は手や目や耳や口の延長としてどんな遠い場所の人とも即座に交信や会話が出来たり、意志を複雑に伝えたりすることが出来るようになった。

でもやり過ぎるとどこかで無理が起きて破綻する。限界はあって、きっとそれが人間の生物的な感覚の限界という事なんだろう。時速250キロなら制御できても500キロでは出来ないとか?
病気というのもそのやり過ぎの現れみたいなものだろう。20-30代の若い人でもガンになったり脳梗塞になったりするのは、きっとストレスがそれを引き起こしているのだろうし、免疫系が損なわれて本来治るはずのものが治らないという事だろうと思う。
人間にとって一番身近な自然は自分の肉体だ。だからこの肉体の要求を素直に聞き取るというのが一番快適なんじゃないかと思う。暑い寒いから始まって、眠い、疲れた、のどが乾いた、ハラ減ったというような肉体の要求を満たす事が生存の一番大事な事だから、これを理性などという戯言で無視しているとすぐに身体が壊れてしまうのだろう。そういう肉体的な要求は単純なものばかりだから、誰でも容易に達成出来るはずだが、なぜか病気になる人はそれが出来なくなる。眠れないとか食べられないとか。そういう時はきっと心身のバランスが崩れている事が大半だから、都市を捨てて、田舎でゆっくりしていると自然に治ってしまうようなケースが多いようだ。自然治癒力というのがすべての動物にはあるんだろうと思う。

 都市を捨てて田舎にくると夜の時間が長いのだ。午後7時を過ぎるとほとんどの店は開いていない。コンビニが3軒だけ熱海では開いているが、あとはシーンとしている。みんな家に帰ってさっさと飯を食って寝てしまうのだろうと思う。僕は宵っ張りだから午前2-3時までは起きていると
音がしないのであまりに静かで東京との差に最初は愕然としたが、慣れればそれはそれで良いものだ。田舎は人が少ない。だから競争がないといか競争そのものにあまり意味が無い。だからまあ今日一日が過ぎればいいかというようなぼんやりとしたグータラな気分に誰でもなるのだ。せこせこしても何も解決しないのだから、大半のことを諦めて暮らす。それでも何も結果的には困らないことが大半で、実は人間は不幸の大半を自分自身で作り出していることにやがて気がつくことになる。田舎にいると金なんてあっても実際にはほとんど何の役にたたないのでどうでも良くなる。
働くなんて馬鹿らしいことはあまりしなくなると思う。

猫の林住期

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秋にもある熱海の花火


 知らない間に定年が65歳に上がっている。年金支給を遅らせるためだろうが、
企業のほうもそれで採算が合うのだろうか良くわからない。でもどこでも
管理職は実質55歳前後で役職定年になるのが大企業では一般的になっている
し、55歳で部長だったひとが56歳で平に降格で、以前の部下の下で安月給
で仕事をしたり、子会社に飛ばされたりするのは普通な事になっているようだ。
都会では鬱屈したおじさんはこうやって大量に自動的に生まれるという事だろう。
右肩上がりの成長経済を前提にした社会の仕組みが全部成立しなくなっても、
それになんとかすがりつくことを大半の人が希望する。それが惰性社会という
ことで現代日本の特性の一つだろう。大きく変化することを死ぬほど怖がるから、
ギリギリまで何もしないで、ついに臨界に達したらいきなりメルトダウンする
というどこかのお馬鹿な国の原発のような仕組みに社会全体がきっと出来てる
のかもしれない。

 その点、今回の天皇の早期引退希望宣言というのは画期的だ。「出来ないこと
を無理にさせるんじゃねえよ。出来る奴がやれよ。」という事でまことに合理
的である。馬鹿正直に真面目腐ってできもしなくなった無能な老人が居座るとい
う醜い構図がオリンピックの醜態になったのだろうが、ああいうのは226事件
じゃないが天誅が下るほうが国家のためだろうと思うね。

誰でも個人差はあるものの、老人になれば体力も気力も落ちるのが当然だから、
今までと同じように生活することは無理である。現在の自分に見合った生活を
すれば無理が減って楽なんだが、人間は慣性の法則があるのか若いときと同じ
ようにしようとして失敗するんだろう。子供が育って大人になれば親の養育の
役割は終わるのだから、あとはどう静かに死ぬかという具体的な時間まで快適
に過ごすかということを正面から考えて実行したら良いと思う。

五木寛之の受け売りだが、仏教に林住期という時間概念がある。

家族が育って
養育の義務を終えた初老から病気で倒れて死ぬまでの10年ほどの時間を都市や
都会から離れて自然の中(インドでは林の中)で静かに暮らして死の時間帯を
ゆっくりと待つという人生の熟成の時間帯という概念だ。実に豊かに自分の生と
死を真正面から見つめて捉えてるなあと経済なんてみみっちい事だけに拘る日本
人と比較してインド人は偉大だなあと思ったのだ。どうしても島国根性というのは
何をやらしてもチマチマとしてみみっちいという貧乏性が目につくなあ。もっと
大陸的にドーンと豪快に生きることが何で出来ないのだろう?

僕は56歳の時に震災を経験して具体的に自分の死をイメージしたので、それ
ならインド人のマネをやってみようと考えて熱海から車で30分ほどの三菱地所
が昔開発した函南という場所の別荘地に広めのフラットを買った。4500区画
に1600人が住んでいる老人ばかりのリゾート地で文字通りのいわば姥捨山で
ある。
標高が700メートルもあるので、駿河湾と富士山が一望できる豪快な景色の中
で鳥や虫の声と四季折々の草木に囲まれた森と林の生活だ。社会と隔絶した温泉
湯治の静かな生活で、まったく商業施設がないから、15キロ走らないと貨幣を
使う場所がネット以外には存在しないという、東京都中野区のマンション暮らし
とは全く異なった環境に猫と二人で入ったことになった。

車が無いと不便で買い物も病院も図書館も行けない。マシな外食をするには往復で
40キロは走るという都会では考えられない生活で、自炊の比率は95%以上に
なった。東京では4割ぐらいだったと思うので、食生活は全く変わったと思う。
伊勢丹と高島屋が近所にないという生活がこんなにシンプルで質素で金がいらない
生活だとういのはやった人しか理解できないだろう。でも人はそれに対応していけ
るのだ。出来ないならとっくに死んでいるという事である。
まず車の運転と感覚に変化が出る。タイアのグリップと操舵感が敏感化している。
路面からの感じが脳にダイレクトに伝わって、エンジンの燃焼状態がよくわかる。
きっと振動とか音とかが田舎は少ないせいだろう。あと空気が綺麗だから、振動
とか波動の伝達にノイズが入りにくいという微妙な差異がきっとあるんだろうと
思う。そういう感じの伝わりにくい車に乗れば死ぬということで、よく高速を逆走
している人はそういう感覚がもう喪失しまった人たちなんだろう。ターボとか
スーパーチャージャーとか過給器のついているエンジンを僕が嫌いな理由はその入力
と出力の関連性の不自然さにきっとあるんじゃないかと思うね。

人生をじっくりと楽しむというのは凄く贅沢な時間と経験だから、「金」なんて
交換価値以外にはほとんど無いものを無限に拡張すれば幸福になるなどいう馬鹿
げた幻想を持つことがいかに自分の人生を貧しくしているのかにきっと気がつくん
じゃないのかな?目的(生きる事)と手段(労働と金)のはき違えをしている人ば
かりが都会にはウヨウヨいるんだねえ。資本主義では生きる事は無関係な事に浪費
することで成り立つ幻想の欲望の世界なんだが、田舎にリアルにそんなものは無い
のですね。



林住期の暮らしは複数並行的に行こう

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イタリアのフラットみたいな別荘群


 旧車の楽しみという変な趣味の人がいてどちらかというと僕もその仲間だ。以前にメルセデスの450SLCという30年落ちのクーペをエンジンと脚をレース仕様に改造して乗っていた事がある。ちょっと古い車ってなんとなく形がカワイイものが多い。10年もするともうほとんど走っていないようになるとますます乗りたくなるのは何故だろう?
 逆に最新のハイテク技術は全てクソクラエで無意味でつまらん事だと思うほうで、エコカーとか自動運転とかは馬鹿じゃないか?とマジに思う。車というのは壮大な無駄の塊だからこそ存在意義があるのだから、その無題を省いて合理的にするのなら最初からタクシーにでも乗れと言いたい。マジ、僕にとってみれば車とは趣味的な移動機械である。でもそうは言っても、キャブレターからインジェクションに変ったおかげで随分とエンジンは安定して良くなったし、故障しなくなったから進化することが一概にダメという事でもないが、エアサスはあまり良い思い出が多くは無いのね。以前は機械式のジャグアーの猫足のヒタヒタ感が好きで7台ぐらい乗ったけれども、最新型になってなんかドイツ車みたいなツラになってからは乗るのをやめてしまった。最後に乗ったのは2007年まで旧車のXJS5.3の12気筒ドロップヘッドクーペでイングランドグリーンとビスケットカラーのレザーの実に美しい車だったが、田舎での整備は無理だから手放した。

 怠け者は大抵メルセデスのSクラスをまず買う。誤解が無いし故障も少ないし「誰であるかはわからないが、誰でないかは直ぐさまわかる」という記号性がとても便利だからだ。クラウンの2-3倍のコストがかかるだろうが、見合った便益があると思うしそう感じない人には向いていないと思うね。あとナンパな人はポルシェは買わない。ネーチャンが嫌がる比率が実に高いからだ。反対に古いジャグアーはマジにネーチャンウケするが、修理代が車両価格の数倍は必ずかかるから数台無いと走らないで使い物にならんことが多いのね。

 生まれて初めてクワトロに乗った印象は「すごく良い、安定してパワーの伝達効率が優れているから加速が鋭いから、それに見合ったブレーキが必要だという事で、またブレンボが欲しくなったなあ。」高速で少し加速減速のテストをしたのだが60キロからフルアクセルで?00キロまであっという間である。きっとカットオフの250までそんなに加速ペースは落ちないだろう。2トンの重量でも楽々と転がすから350HPとそれほどの馬力でもないが伝達効率というのが凄いという事だ。あとボデイーの作りは静かで安定している。地味な形だがコンパクトで早くて強い印象だ。
V8でこれならV10、W12はすこぶる良いエンジンなんだろうと想像できるから、飽きたら変えるかなとも思うが、ダウンサイジングでターボ化というのは止めて欲しい!ノーマルアスピレーションのツインカムV8のあのドロドロが一気に回転する感じが素晴らしいと僕は思う。踏む気が盛り上がるという事である。

林住期は、自分のやりたい事を思い切り優先して実行する最後のチャンスだろうと思う。何か一つに絞り込む必要なんてないし、複数のしたいことを並行的にできる時間的、経済的余裕が生まれている人も多いだろうと思う。それなら躊躇しないで実行しないのは機会損失も甚だしいと思うから、日本人もそろそろ贅沢消費を進んでするべきだろう。住宅とか車とかお金がまとまって必要なものを複数所有するのは最後のチャンスだろうと思う。僕は現在、伊豆高原のフラットを狙っている。マダムが熱海に来るので、もう一つここから2時間ぐらいの場所に別荘の別荘があったら気分転換に良いかなあと思っている。
候補は同じ140平米のフラットでこの物件は2階建て、宇部興産のバブル時の億ションだが1/10に下がっている。http://www.royal-resort.co.jp/b_detail.php?id=18622
一度似た間取りを3年前に内覧したが少しカビ臭くて止めた記憶がある。高原はどうしても湿気が高いので日照が鍵だねと思った。海と山とだと僕はどうしても山派のほうだ。梨木香歩という作家がいるが、水際とか渡りとかノマドライフを美しい感性で描く作家であるが、彼女の描く山は素晴らしい。険しい山ではなく、もっと里山に近い原生林のような山と森と植生を得意として書く作家だ。生きたり死んだりという命の循環が自然に起きている様態の記述が素晴らしくリアルで人間だって例外ではないなあと感じるから、死を特別視して恐れない視点がそこにはあるんだろうと思う。文明と文化の異なった有り様を一つ示しているのじゃないかと感じる。
自然の中の要塞=フォートレスという意味でコンクリートのフラットは文明の一里塚だけれども、都会の喧噪が嫌になった人が逃げ込むにはネグラとしては実に良く出来ていると思う。

山を降りる

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ぶっかけ冷うどん 全部乗せ  200グラムで何と1000円です。

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浅煎りコーヒー豆専門店  イースト

 相場でなんとか食ってきたような後半戦の人生だったようにも思うが、別段僕は「資本主義の等価交換社会をある意味すごく小馬鹿にして軽蔑している」という点に置いては経済的な人間では多分ないのだろうと思う。ソロスが儲けすぎてもうすぐ死ぬので(だって85歳だろ?)5億ドルで難病対策の慈善事業をするとか3つ東欧に大学を作って自由な社会に貢献するとか毎度実にご苦労様な事だねと思うが、そういう偉い人がいないと困る貧乏な大衆がいるという事実で世界はモザイク的に成立しているのだから、僕としては無能のそしりを免れないがそんな凄いお仕事をするのを考える事自体がまっぴらごめんで(まあやる気も実力もないので所詮無理なんだが、、)脱力して自分と周囲の家族と猫がなんとか地球の隅のほうで好き勝手に生きられたらもうそれだけで十分だから、他の人類の事なんて面倒だから考えたくもないと思う。という点で実に動物的だねという自覚はある。人類愛の意義を考えるよりは藤沢に1杯1000円の美味しいうどんを食べに山を降りることのほうが100倍大事だねという事でもある。スマホのグーグルマップは実に良く出来ているねえと毎回感心しているのだ。
 70億の人類が仮に10億に減っても別段地球環境が改善するだけのことだからその減少する中に自分の現在が入るか入らんかという生存競争を無意識にしているだけのことであって、倫理も正義も別段どうということもきっとないんだろうと思う。13人殺せば殺人鬼だが13万人殺せば英雄だという人類史の矛盾をヒューマニストはどう解説するんだろうか?(爆)と思うね。小学生に殺人数量の変化で呼称がわかる人類的意義について平易な説明が出来る教師の比率がどれぐらいいるのだろう?という素朴な質問をするPTAって馬鹿?(爆)
 ミーハーだから、何か楽しい事、心地よい事には敏感で、その点で都会を捨てた生活の中で「高度差と標高」という上下の凹凸に視点を向けると毎日の生活に活気と変化が生まれてノマドライフが数倍充実するんじゃないの?と具体的には思う。アンデスの山岳民族が数ヶ月に1度、ロバに荷物を載せて山から町に降りてコカの葉を物物交換に近いような等価交換をする記述に刺激されたせいもあるんだろうが、この山から下りるという物語性を自分の毎日に取り入れると実は楽しい。ガルパスリョサとかガルシアマルケスとか南米の神話伝記作家の記述で山から下りる民の暮らしがあるのだが、そのヒントがノマドライフにはあるんだし、事実標高で300メートルの民と20メートルの民は別の民族のように発想も行動もかなり異なるのが熱海ライフでも明らかなのね。ロバの替わりにパワフルな自動車が無いと山岳民族としては活動できないという点でデカい、強い、大きい、トルクフルだ、ブレーキが強い車を買わせるという事なんだろうと思う。アットプラスという哲学と社会学、経済学の売れない雑誌で柄谷行人の特集があったので、辻堂の湘南Tサイトに昨日はH夫妻とお出かけした。途中に美味しいうどん屋と美味しい珈琲屋に寄って、具体的には県内で一番上等な食事とお茶とを済ませてから 「世界史の構造」を読む  インスクリプト 2400円を買った。多分500人が毎日懲りずにこのサイトに来ても同じ本を読むような人はまずいないだろうし、別段期待もしないが、金が欲しい人が多いのならその金の使い道を作り方以上に真剣に考えておかないと所詮人生の努力は時間の無駄になるんじゃないの?とよけいなおせっかいを焼いたりしているのね。

マダムのお引っ越し

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そんなに早くもないGT3

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カオシャン実に辛い!

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8種の野菜炒め  ほとんど塩味がしないのよ

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ジャージャー麺

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実に見つけにくい場所にある民家レストランです。

上京した。土曜日の上りは海老名付近から結構混んでいた。露払いポルシェGT3の白のケツについて40キロほど走って、結局は甲州街道の笹塚までついていくことになったが、車の性能という意味では到着時間に差はないということだねと思う。踏めばそれなりに早いならどれも大差ない結果になるというのが日本の道路事情であるということで、あとは気分の差という以外にはないだろう。
 デカいメルセデスがケツにぴったりと付くと嫌がるドライバーはとても多いと思うが、そういう心理的な効果があるのでCLに乗っているという嫌みなドライバーが僕のようなタイプなんだろう。嫌みな言葉、勝ち組の車のツラを使う効果がやはりあるからだ。重量感のある太いトルクのある加速に慣れたが、増車したA6avantは重いが重い感じがしないという感覚的な軽さがあるのはクワトロのせいなのだろう。立ち上がりが軽いのね。踏み過ぎに注意しろということで、これはポテンザのせいかもしれない。燃費では5500のV8の200キロ前後の高速主体で今回は8キロだったのは、首都高が大渋滞で40分ほど捕まったせいで、渋滞以前な9.4キロぐらいだったから、エネルギーの無駄は渋滞ということである。田舎はそれがなのでプリウスの出番が無いということになる。
 熱海は21度、都内は24度とやはり3度ほど都内は高温なのは自動車のせいだろう。23時だど熱海は18度まで下がるから、1日の温度差が田舎ほど大きいという現象は、車の外気温計だけ見ても明かだ。田舎は秋が早いということで、虫の大合唱が始まっている。
 マダムのお引っ越しはこれで9割がた済んだということで、靴とお洋服の山をトランクと後部座席に無理矢理積んで走ったという事になった。アルミの大型トランクリモアを後部座席に入れたがシートベルトでなんとか止めて、走るには走ったが、やはりクーペはデート以外には使い物にならんからワゴンがあると便利だねと思う。

 東中野のヌーベルシノワ 小川軒 の四川料理は素晴らしい。僕の三ツ星で、六本木の中国飯店よりも旨いね。コスパは5倍な感じ。
点心をいくつかと野菜とエビと麺を3人で食べて、紹興酒瓶出し1Lでなんと1万円である。そこいらのラーメン屋の値段と大差ないのだが、実に趣味的な味である。座席数わずか4テーブル、16名が限度なので要予約(月、火休み)。隠れ家なので自分で場所は探してね。

素敵なごちそうを食べる。幸福のはじめの一歩だと思う。

素敵なシルバーライフ

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圧巻の相模湾

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ズゲー雑誌が出来たもんだと思う

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まもなく女子の首相が日本でも出るだろうなあと思う

 義母の住むケアハウスの屋上からの景色は僕の知る熱海で一番素敵だ。
特に夕方の海は美しい。ピンクとグレーの無限のグラデーションが息を飲むほどで、およそ20分ほどのパノラマだ.少しだけお金があるとこういう経験が出来るとすると、やはり少しだけ豊なほうが人生は幸福だねと思う。別段大金はいらないから、まめに良い場所を時間をかけて探す事が大事だねと思う。結構こういう施設は出入りがあるらしくて、今週はもと京大教授が新人で入ってきたとの事だ。でもやはり女性の天下の施設だから、8割ぐらいは女性である。男はみんな早く死んでしまって、未亡人が圧倒的に多いのだ。それはこうしたケアハウスだけでなく、僕のフラットも多くは女性である。男で早期に引退して遊んでいるようなのは稀中の稀で40代はゼロ、50代もごくわずかで、男の平均は65以上だろうと思う。僕のフラットの管理人は夫婦だけれども、旦那さんは82歳である。それでも毎日働いているのが元気の元かもしれない。

 どうせ老いがくるのだから、楽しく充実して老いを楽しむのが良いと思う。そういう事が出来ている才能のある人の本を読めば、自分が出来たら良い事ややったほうが良い事のヒントが満載である。老いは誰でも初めての事なんだから、躊躇する事なく先輩たちの良い部分を真似るのが一番容易で成功すると思う。
年刊の「つるとはな」という老人のライフスタイルマガジンは圧倒的である。3冊出ているのでみんな読んでいる。とにかく60歳以上の全員必読の書という感じだ。楽しくて実に良い雑誌である。

 他に野際陽子(80歳)、桐島洋子(79歳)の本を買った。婆の本だが実に凄い!やはり日本は女で保っているなあと思う。爺の居場所はほとんど無いねえ。(爆)
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