四川マーボ豆腐、イカと小エビの炒め物、チンジャオロースー、豚のカリカリ焼きなど
3人で腹一杯たべて5000円もしないのね。だから午後5時からいつも満席です。
しかし問題は、このような互酬交換がどのようにして生まれたか、です。今日の人類学者はそれを問わない。人類学者は通常、遊動的狩猟採集民と定住化した狩猟採集民の区別を重視しません。遊動的であるか否より、狩猟採集民であることのほうを重視しているからです。しかし、人類が定住したことは、画期的な出来事です。定住することによって、互酬原理が成立するようになったのです。では、いかにしてか。
この問題に関して参考になるのは。フロイトの考えかたです。彼の考えでは、意識から抑圧されたものは必ず回帰する。そして、抑圧されたものが回帰するとき、それは強迫的なかたちをとる、というのです。それは彼が精神分析から得た認識です。この観点から、フロイトは『トーテムとタブー』を書きました。
フロイトはここで、トーテミズムの起源を問うたのですが、それは同時に、互酬制の起源を問うことです。先に述べたように、インセストの禁止などは、外婚制のために生まれたものです。そのために、近親相姦が厳重に禁止されたわけです。では、それはいかにして発生したのか。フロイトの説では、最初にすべての女を独占する「原父」がいた。そして、息子たちが団結して、その父を殺した。息子たちは父に対して両価的(愛しかつ憎む)感情を抱いていたので、父を殺したあと、悔恨、罪感情を抱くとともに、父を敬うようになり、父が禁じたことを自ら実践するようになった。すなわち、女たちを断念する。それがインセストの禁止である、とフロイトは言うのです。
しかし私は、『世界史の構造』で、つぎのような事を書きました。原父のようなものは存在しなかった。原父は氏族社会の後に出現するものである。つまり、原父とは、国家あるいは家父長的な存在を、過去に投射したものである。それを最初にもってくるのはおかしい。遊動民社会では、そんなものはなかった、と。
フロイトがいう原父は、ダーウィンその他当時の学者の意見です。そして現在では否定されています。が、私は、原父殺しというフロイトの説を、全く放棄する必要は無いと考えます。たとえば、つぎのように考えればよいのです。定住後の社会では「原父」的な存在が出現するのは不可避的であるから、それをあらかじめ殺す儀式、つまり、このトーテムの儀式をくりかえし行う必要がある、と。つまり、互酬交換によって、定住、蓄積によって生じる富と力の格差を妨げる必要があります。
しかし、そのような目的のために、人々が互酬交換を考案し採用した、などということはありえません。それでは、互酬性のもつ強い反復強迫性を説明できないからです。だから、フロイトは原父殺しを想定したのですが、それではうまくいかない。にもかかわらず、やはりフロイトの認識が必要です。ただし、それは後期のフロイトです。後期のフロイトは、第一次大戦後に戦争神経症患者に出会ったことから、彼らの反復強迫を説明するために「死の欲動」という概念を考えました。それは、有機体が無機質であった状態に戻ろうとする衝迫です。
私はそれを似たことが、遊動民が定住したあとの社会についていえる、と思います。遊動民のバンド社会では、人々は少数であり、また、いつでも他人との関係を切断できた。彼らはいわば「無機質」であった。しかし、定住以後の社会では、それらが多数結合された「有機体」になります。それは葛藤、相克に満ちた状態です。互酬性とは、このような不安的な有機体的状態から無機質的な状態にもどろうとする「欲動」にもとづく、反復強迫的なシステムであると解することができます。
定住後に人々は、かつての遊動状態に回帰しようとする欲動をもつ。人々が原遊動性を意識することはありません。しかし、意識しないが、それは無意識に残っているのです。この問題に関しては、後期フロイト(死の欲動)から出発したラカンの理論を参照できると思います。私がいう交換様式Aは、ラカンがいう象徴界に対応します。実際、ラカンは象徴界を、レビーストロースの親族構造の理論から考えたのです。
遊動民は定住したのち、交換様式Aによって組織された社会を形成した。それは、いわば、象徴界に入ること、そして、象徴界の「法」に属することです。その場合、原遊動性は抑圧されながらも、執拗に残ります。ラカンはそれを、リアルなもの(現実界)と呼びました。現実界は駆逐されたにもかかわらず、頑固に存在し回帰しようとする。現実界は表象できないが、実在する。
「山人と山姥」柄谷行人 講演集成 「思想的地震」より転載
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東日本の大震災から今日でちょうど6年が過ぎたことになる。いまだ仮説プレハブ住宅に住んでいる多くの被災者や福島の汚染から逃れている避難民の人も8万人ちかいという。この国に民主主義は本当にあるのだろうか?著しい経済発展したはずの国がなんでこんな無様な醜態を6年たってもいまだに曝しているのだろう?よく革命が起きないなあとそのお行儀の良さには呆れる!
それでも柄谷行人はこの地震で少し日本が変わった点があるという。それは日本が普通に「デモをする国になった」ことだという。9条も秘密保護法も立法府の外で反対する大規模なデモが起きたということは、黙っていられないで抗議する人が生まれたということだろう。日本人の多くは行儀は良いが決して馬鹿ではないという事だろうと思う。阿部のしようとしている悪辣なことをきっと見抜いていると思うのだ。銃刀法を改正して銃規制をアメリカ並みに緩めたら、きっと政治は少しはまともな方向に進むのかもしれない。いい加減な政治家はきっと多数が暗殺されるだろう。規制緩和をするのならさっさとやれと言いたいな。
さて今度は東南海地震がくるかもしれない。周期からすればもういつ来ても不思議ではないタイミングで、その被害規模は死者34万人(東日本の17倍)、GDPで100兆円という巨大なスケールもありえるそうだ。沼津、下田で33メートルの津波が10分以内で到達するというから、静岡の死者は海岸線が長いので10万を軽く超える想定になっている。津波の被災の程度は、推進70センチで致死率が7割を超えて、水深1メートルだと100%の致死率となっている。それぐらいトルクフルで水からは逃げられない力なのだ。だから水に少しでも触れたらまず助からないと考えたほうが自然だろう。家屋倒壊ならまだ救助の可能性も少しはあるが、津波では2分で呼吸が止まるので救助は事実上不可能である。少しぐらい泳げても水中で何かに流されてぶつかれば怪我をして水死にすぐになってしまう。だから致死率が高いのだ。絶対に濡れない場所に住む必要があるから、標高で40メートル以下の場所は全部危険ということになる。
自分の家の標高が東京から四国、九州まで40メートル以下の人はどれぐらいいるのだろう?きっと静岡県では大半が海沿いに住んでいれば40メートル以下だろう。熱海駅がちょうどそれぐらい、沼津駅は8メートルだ。完全に水没すると思われる。静岡、浜松しかり、富士しかりだ。だから10万を超える被害想定なんだろう。
震災後、静岡県の人口はどんどん減少している。工場立地がアジアに移転したせいもあるが、地震で沿岸部から逃れて静岡を去った人もきっといるのだろう。僕は逆に東京から熱海に来たが、住居の標高は240メートルの山頂だから寝ていて地震がきても水は恐らくは来ないだろう。仮にここが水没するようなら、列島の太平洋岸全体が水没する、小松左京の「日本沈没」そのものになるのだろう。東京、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都とすべてが水没することになる。日本という国がほぼ無くなると見て良いだろうが、そういう事態は毎度お得意の「想定外」という事なんだろうと思う。(爆)
それでも人類はここまで生き延びて大繁殖してきた事実があるということは、危険を察知すれば移動する、原遊動民が多くいたという事実があるのだろうと思う。カルデラ爆発のような大規模な火山噴火が起きると九州全体の生物そのものが死滅するような規模の被害になるそうだから、何度もそういう規模の災害が実際に起きてもなんとか乗り切って生き残った種がいたということだ。それには、異なることをする種が常に存在する事実が重大である。9割の多数のする事と逆行する1割の人。(比率は98対2かもしれない)
「山人と山姥」柄谷行人 講演集成 「思想的地震」より転載 を読んだが、きっと山人と山姥という人種が生まれたのは、海岸に定住することを逃れた人がいたということだったのだ。オオカミ伝説にもあるが、そういう原遊動民がこの列島に過去に存在していた。その理由はもしかしたら大規模な地震と津波被害のせいだったのかもしれないなあとも思ったのだ。人は自分の一生の時間の長さでしか物事を想像できないが、巨大な想定外が明日なのか200年後なのかは誰にもわからない。200年という時間は地球にとっては単に瞬きの時間でしかないのだから。生き残る秘訣は
1 まず運が良いこと 2 つぎに慎重なこと 3 すべき事をすべてやり終えておく事
個人の努力の余地があるのは3以外に無いが、その意味で対策を真面目にしている人にあまりお会いした経験が僕にはないのだ。考えないように生活している人ばかりがいるような気がする。(99%以上がそうだろうと感じる。)