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Channel: 猫次郎のなんたらかんたら書き放題
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太腿の記憶

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芦ノ湖と富士山  湯河原オレンジライン山頂より

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安室チャンはグラフの友

 カロリーヌ イェサヤンの腿に手を置いたとき、ブリュノの気持ちとしては彼女に結婚を申し込んだのと同じだった。彼が思春期を始めた時代は、一つの移行期だった。いくらかの先駆者は別としてーーーそもそもブリュノの両親が、その不愉快な例だったーーー、前の世代は結婚、セックス、愛のあいだにきわめて強固な絆を打ち立てていた。実際、50年代におけるサラリーマン階層の拡張と急激な経済成長によってーーー世襲財産という概念がなお実際上の重要性を保っている、小数派となりつつある階層においては別だがーーー、<理性による結婚>は好まれなくなっていった。婚姻外の性行為に対して常に批判的な眼差しを向けてきたカトリック教会も、<愛による結婚>へと向かう傾向を、より自分たちの教義にかなうものとして歓迎した(「男と女を神は作りたもうた」)。それが教会のそもそもの目的である、平和と忠誠と愛にもとづく文明への第一歩につながると考えたのだ。この時代、カトリック教会に対抗しうる唯一の精神的権威であった共産党もまた、ほぼ同じ目的のために戦っていた。こうして、50年代の若者たちの誰もが、<恋に落ちる>その瞬間を、今か今かと待ち望んでいたのである。地方の過疎化と、それにともなう村落共同体の消滅によって、将来の伴侶の選択範囲は無限に広まると同時に、伴侶の選択は極度に重要な事柄となっていったのだからなおさらだ(1955年9月にはサルセルでいわゆる「団地」政策が初めて試みられたが、これは社会の枠組みが核家族にまで収縮したことを如実に示す事例であった)。かくしてわれわれは、50年代およぼ60年代の始めを、誇張なしで、真の<恋愛感情黄金時代>として定義することができるーーー今日なお、ジャン フェラや初期のフランソワーズ アルディーの歌を通してそのイメージをつかむことが出来る。
 しかしながら同時に、アメリカに起源を持つセックス享受型大衆文化(エルヴィスプレスリーの歌、マリリンモンローの映画)がヨーロッパにも広まり出す。冷蔵庫や洗濯機といった、カップルの幸福を応援する道具と並行して、トランジスターラジオやレコードプレーヤーも広まり、<思春期の火遊び>という定型が流布されるようになる。60年代全般を通じて潜在していたイデオロギー的葛藤は、70年代初頭は「マドモアゼルはお年頃」や「20歳」といった雑誌を舞台に噴出した。当時の最重要問題「結婚前にどこまで許される?」という問いに、その葛藤が凝縮されたのである。同じ時代、アメリカ起源の快楽主義、セックス至上主義的立場は、アナーキーを信条とする諸雑誌によって強力に支持された(「アクチュエル」の創刊が1970年10月、「シャルリエブド」の創刊が同年11月)。
 これらの雑誌は原則として反資本主義的な政治姿勢をもつものだったが、娯楽産業とは肝要な点において一致していた。つまり、ユダヤ=キリスト教的道徳の破壊、青春と個人の自由の擁護である。相矛盾する力に引き裂かれながら、少女向け雑誌は緊急の妥協案をこしらえたが、その内容は次のような少女の一生の物語に要約できる。まず始めのうち(12歳から18歳までのころとしよう)少女は複数の男の子と<出かける>(<出かける>という単語の曖昧さ自体が、実際の行動の曖昧さを反映してもいたーーー男の子と<出かける>とは、いったいどういう意味なのだろう?それは口にキスすることなのか、それとも<ペッティング>や<ディープペッティング>のより深い快楽、さらには性的関係そのものを指すのか?男の子に自分の胸を触らせていいの?パンティーを脱がなければならないの?そして彼の体は、いったいどう扱ったらいいのだろう?)。パトリシア オヴェイエールにとっても、カロリーヌ イェサヤンにとっても、頭の痛い問題だった。彼女たちの読んでいる雑誌に載っているのは、はっきりしない答えや矛盾した答えばかりだった。次の時期になると(大学受験が終ったころ)娘は<真剣な話>がなくてはならないことを感じるようになり(のちにドイツの雑誌は、それに<ビッグラブ>という名称を与えた)、そうなると「わたしはジェレミーと一緒になるべきなのかしら?」というのが正しい問いになる。これが第二の時期であり、原則としてここで運命は決定される。処女向け雑誌の提示するこうした妥協案がまったく役にたたないものであることはーーー実際、これは正反対の行動モデルを、人生の二つの時期にいいかげんに当てはめただけのものだったーーー、数年後、離婚が一般化した時点で初めて明らかになった。とはいえ何年かのあいだ、この現実味のない図式は、周囲に生じている変化の早さについていけないうぶな娘たちにとって、信頼できる人生のモデルとなり、彼女たちはそのモデルに合わせようと一応の努力をしたのである。

 アナベルにとって、事態はまったく異なっていた。彼女は夜寝る前にミシェルのことを考え、朝起きて彼にまた会えるのを喜んだ。授業中何か面白いことや変わったことがあると、それをミシェルに話してあげようとすぐに思った。昼間、何かわけがあってミシェルに会えないと不安になり、悲しくなった。夏休みの間(両親はジロンド県に別荘を持っていた)、彼女に毎日手紙を書いた。自分でははっきりそうだと認めていなかったにせよ、手紙に情熱的なところはすこしもなく、同じ年の兄弟に書いているような文面だったにせよ、そして暮らし全体を包み込んでいるその感情が、身を焦がす熱情というより優しさの輝きを放っていたにせよ、アナベルの心の中では次のような事実が次第に明らかになっていったーーーそれを求めることもなく、本当には望みさえしないうちに、自分はいきなり、<大恋愛>に直面しているのだ。最初に出会った男の子がその相手だったのであり、もう他に誰も現れないだろうし、そんなことは問題にもならないだろう。「マドモアゼルはお年頃」には、そういう場合もあると出ていたーーーでも勘違いしちゃだめ、そんなのめったにあることじゃないんですからね。でも時として、本当に珍しい、奇跡的な場合にはーーーとはいえ現実にあったことは証明済みーーーそういう場合もあるのです。それはこの地上であなたの身に起こるかもしれない、いちばん幸せなことなのですよ。

  『素粒子』 ミシェルウエルベック   野崎 歓  訳  より転載


 現在世界で最もスキャンダラスな作家が、この作品『素粒子』でコングール賞を取ったウエルベックといえるのだろう。たった数ページのテクストを抜粋して載せただけで彼の異才ははっきりと読み取れると思う。
文体、構造、視点と全てが独特で比較する者がいない天才といえる。あえてその異才を比較するとすれば、ガルシアマルケスかトマスピンチョンか1世紀にせいぜい一人か二人の天才といえる独自性の文体といえる。世紀と大陸を代表するそんな才能なのだろう。

 この連休の後半は、桜木紫乃を5冊ほど続けて読んだ。北海道の釧路、道東という特殊な気候風土の生んだ文学といえる。「ホテル ローヤル」で149回直木賞受賞の乗りに乗っている旬の女流作家といえるだろう。そもそも女の一生というのは男のそれとは非対称だとつくづく思うのだけれども、なぜ現代社会の生産性の要求はそんな異なる非対称性を無視したような同一性を彼女たちに無慈悲にも今も期待するのだろうか?実に愚かな発想だろうと僕は思う。いびつな資本性社会の狂った本能の結論は結局は人口減少という人類の自滅という結論以外に何一つ産み出さないというのは明白な結果だろう。先進国の人口動態を2世紀分ぐらいみればどんな馬鹿でも見当がつくというものだ。

 さて生まれて初めて女の子の太腿に手を置いた記憶というのはどんな男子にとって特別なもの=そういう感覚と論理構成で彼のテクストは始まる。それはミッシェルレリスでもジルドルーズでもあるいはジョルジュバタイユでも同じ事で、彼らにも「初めての女子の太腿への接触」という体験は必ずあったはずである。それは明らかな身体と人格への侵犯行為の入り口であり、この人格と身体の融合(これによって)によってはじめてその後に生殖が始まる。何を誰とどうするのか?正解と誤解が同じ行為の中で並立する。ある者は許され、ある者は拒絶される残酷で無慈悲で非合理な世界が、この愛の入り口であり、多くの男子がそれを怯え、恐れ、諦めているのが現代という時間なのだろう。拒絶を強行すればほとんどが犯罪になるが、一部が有償化され受容される。見極めが難しから初心者ほど失敗しやすい。しかし誰もが最初は初心者である。

 ある意味で販売され、レンタルされ、月賦で買える、生殖の入り口の行為というもの。それを文学にすれば、様々な意匠に変わる。生殖を制度化したものが仮に結婚だとすれば、制度化されていない生殖とは非婚によるものだ。そういうハイブリッドが増加すれば新しい人類が生まれるのかもしれない。つまり優れた文学とは思考方法の新たな区分なのだ。

 古い船には新しい水夫が乗り込んでいくだろう
 古い船を今動かせるのは古い水夫じゃないだろう
 なぜなら古い船も新しい船のように新しい海に出る
 古い水夫は知っているのさ、新しい海の怖さを   

   吉田 拓郎「イメージの詩」

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