自分の事を基準に人間は誰でも物事を考えるから、他人のことはよく知らないから深くは理解できない。自分が遭遇したことのないような不幸な目に会った人のことも「大変でしたね。」と言葉で同情することは可能でも、どれぐらい大変だったかなんて全く知るヨシもないし、知りたくもない。知ってもどうしようもないからだ。相場をするという事は自動的に不幸を量産する事だという呪われた部分を自分が実行しているという自覚が僕にあるからだ。資本主義とはそもそもそういう仕組みなのだ。
そもそも僕自身が生まれてから今まで個人的に金の苦労なんてほとんどした経験がないから(あまりお金が無い若い頃も、それは遊ぶ金が少なかったというだけで親の金で大学を出たのだし自宅通学通勤だから株の元銭は豊富にあった。アルバイトの掛け持ちと博打と相場で大学出る時にはすでに800万ほどは現金を持って、さかんに現物株のなんぴん分割売買をしていた。)生活が貧窮してどうしようもないとか、家賃が払えないとか、借金取りに追われるとか、子供の給食費に困るとか現在ネット上で話題になるようなそういう貧窮に陥ったことは一度も無いし、今後も無いだろう。親が死んだら億以上の遺産があって、相続税を家族5人できっちり支払ったようなまあどちらかと言えば裕福な家庭だったのだと思う。それがずっと続いて40才で一般的な意味では引退して、グータラ相場をしながらもう22年もなんちゃってブルジョワライフをお山の上でしている。子供2人も結婚してそれぞれ元気に仕事を持って孫が4人生まれて、まだまだきっと増加中。波乱なんてほとんど経験しない絵に書いたようなリッチなハッピーライフなんだなあ。あと10年ぐらいなんとか健康で楽しい毎日が過ごせたらそれだけで満足だと思うな。相場の金儲けは数少ない僕に残った楽しみだから、心置きなく鴨は全て殺す。10人殺して1億円、100人殺して10億円、1000人殺せば100億円と夢は枯れ野を駆け巡る。(爆)
という意味では貧乏人の気持ちって多分一生涯全く理解も出来ないし、理解する気にもならないし、理解した所で個人的にはどうしようもない。どこかの他の星の出来事だから、まあ勝手にやって下さい。金持ちライフのほうが多分楽しいですよと言う他に僕には言いようが無いのである。おんぼろの軽自動車に乗るよりも豪華な大きな欧州車に乗る方が気分が良いし楽しいだけの事である。
「どうだあ?でっかいし偉そうだし高そうで楽しそうだろ?」という見せびらかしなんだが、余計な金を車屋に支払いしている分だけ世の中に貢献しているわけだ。(納税も多いし、、)ケチ臭い奴はセコいからそういう公益性に貢献していないから世間の役にたっていないという自覚がないのである。(まあ貧乏で無能だと余裕がないからしかたないがねえ)
それでも周囲からは「変態」と言われるから(ベトナムさんがそう呼んだが、、)、まあ少しは変わっているほうかもしれないが、当人は至って「普通の人」だと思っている。
どう普通かと言えば、怠け者で仕事は大嫌いだから、なるべく時間と手間の投入は最低限度で、その成果は人の30倍ぐらいあると良いなという虫の良い願望が若い時からずっとあったし、未だにそう変わりない。ストロースのフィールドワークしたマトグロッソの非文字文化の原住民の生活=夫婦2人の1日2-3時間の労働で家族10人程度がゆっくりと裕福に生活ができ、子孫を再生産可能な暮らしが基準点なんだな。だから安月給のリーマンでは無理で社長になってもこれは叶わないだろうと思ったから、普通の仕事は全て没=選択外である。元銭を作るにはしかたないので若い時に激しく商売人をやったが40才で引退したのは良かったと思う。あのまま仕事をずっとしていたらとっくに過労死してはずだ。なんでもそうだが、死んでまでする必要のある仕事や娯楽など無いと思う。生きていないと何も楽しいことは出来ないからだ。
僕が若い人たちに期待するのは、「24時間働けますか?」みたいな馬鹿な事をして不幸になって欲しくはないなあと思うことだ。国家に騙される、会社に騙される、思想に騙される、そして奴隷の人生を余儀なくされるのはとても悲しい。いくら真面目にやっても一端社会の仕組みに取り込まれてしまうと日本社会は同質化圧力がめっぽう強いので誰でも嫌でもそうなる。だから自由気ままに自分の楽しい人生を実現するには引力を離脱するための「時間」「思想」「金」が要る。30年か50年遊んで暮らせる3つのエネルギーが必要なんだな。でもそういう3つのエネルギーは労働では容易には実現出来ないなあと思うから、1日2-3時間で可能な仕事は相場しか現実は無いんだなと僕は若い時に気がついて、それの虜になったのかな。それで専業になったのが40才だった。まだ子供は中学生と小学生。まあ変態というのは大勢と比べるとそうなのかもしれない。
keyさんも50代でまあ僕と似たような理由で引退した。どうせ1度の人生だから自分の好きなように生きたいという事だろう。少し元銭があるとそれが可能だと思えば、やったほうが幸福だと僕も思うな。やらないで後悔するよりやって後悔するほうが前向きだな。もう既にやった時点で後悔なんてしている余裕なんてないし、新しい挑戦って誰もが元気になるんだな。身体にエネルギーが沸き上がるような感じだ。だから当人は長期のグラフを書くと実はすごく楽しいのね。このやっている事が楽しいって時点でもう半分は成功したも同然だと思うな。仕事はみんなそうなんだな。最初の取っ付きは慣れが出来るまで、結構しんどい事も少しはあるんだが、わかってくると進んでいくのが楽しくてワクワクするんだね。すると覚えが早いっていうか、その世界に同化していくのが早いから、どんどんと進むのね。「気がついたら金が出きてら。」って僕は思ったな。どうっていう事ないものね。1000枚や2000枚グラフ書いても別に死なないですよ、普通の人間は。少し肩が凝るので、マッサージ椅子買ったり、2980円のマッサージ屋に行って綺麗なネーチャンに揉んでもらって寝ちゃったりしたけど、黄ばんだ昔のグラフを時々裏張りして補強しているともう今後いくら稼いでも感動なんてしないねえと思うな。自分で使い切れない金って無意味なんだね。それを子供や孫が使うことになるでしょ?毎年正月に孫の家族はハワイでバカンスですよ、4年連続。みんな婆さん持ちですよ。8人で行って400万ぐらい4日で使って、「ああ、楽しい!」って世界です。こうやって既に日本でも階級が出来てしまっているでしょ?
5410なんて48年を書くと45円が2500円になる50倍の変化だからその半分でも取れれば10億なんて軽いでしょ?しかも50年で2度もそうなってるから、ぴったり天井から底の周期は12年だし、今年はだからその12年目の底付近だから、仮に200円が50倍なら今後は1万円になる。安値で買って3-4年持っていると50倍だ。どんな馬鹿でも買って高値まで持っていれば金持ちだが、貧乏人はずっと持ってはいられない。2-3倍で降りちゃうのね。だからいつまでも貧乏のまま。買って忘れられるぐらいでないとダメなのよ。その忘れるぐらいが出来る生活レベルが普段の生活で出来ることが決め手なんだけど、貧乏人にはそれが一生わからないだけの事。そんな単純な差異なんだけどね。
元手100万が何もしないでも5000万、1000万が5億だろ?でもね、普通の生活ではそういう大金は使い切れないんだな。無意味に近いんだよ。でも5億取れば、反対に1000万の人を50人殺すことになるでしょ?相場はゼロサムなんだからそうなるよ。そいつらの卒塔婆を派手に建てるのが仕事なんだよね。